怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

サウナしきじ

自動車のオイル交換を含むメンテナンスをディーラーで頼んだ翌日のきのう、慣らしも兼ねて静岡までドライブに行った。

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▲御神木の「大楠」。

圏央道から小田原厚木道路、真鶴道路から熱海ビーチラインを経て来宮駅付近に車を停め、まずは来宮神社に向かった。




目当てはこの「酒難除」のお守りだった。
来宮神社は縁結びで有名だそうだが、禁酒のご縁もあるそうだ。
自分と友人の分を手に入れ、お参りを済ませて早々と来宮を後にした。

ちなみに、境内にはインスタグラム撮影用の台があったり、
社務所はまるでスターバックスのような新しく綺麗な建物だったり、
そして「パワースポット」を自称していたりと、いろいろとフットワークの軽い神社であった。

来宮梅園の梅を横目に眺めつつ来宮を抜け、
国道1号から東駿河湾環状道路を経て新東名に乗り、新清水JCTで東名に入って静岡インターで降りた。
そこから10分ほど走らせると、今回のメインである、二度目の「サウナしきじ」が見えてくる。

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▲写真は夜に撮ったものだが、実際には昼に着いた。

今回は現地に住み、週4ペースでこの「しきじ」に通っているというむかどん氏と一緒にサウナと水風呂を往復した。

主だった感想は前回書いた通りで、今回もその感動は変わらない。
今回は粉末の「エネルゲン」を持参して浴室内の天然水で割って作り、適度に水分補給をしながらサウナを楽しんだ。
やはり薬草サウナのスチームは圧巻で、サウナ室内を少し動くだけでロウリュの熱波を受けているのと同じ状態になる。
フィンランドサウナの方も温度は120度を超えており、耳が焼け落ちそうになる熱さだった。
ここのサウナに慣れてしまうと、普通のサウナではなかなか汗を流せないのではないかと思う。

シャワーも、多くの施設でそうであるような押してすぐに止まってしまうタイプのものではなく、
任意のタイミングで止められる(つまり家庭用と同じ)タイプなのが素晴らしい。
フェイスタオルもサウナマットも取り替え放題、歯ブラシや糸ようじなどのアメニティもすべて使い放題で、
「こうだったら嬉しい」という注文がもはや何もない。

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▲焼きそば(550円)。

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▲唐揚定食(680円)。


今回は、昼・夜ともに「しきじ」内の食堂で食べた。
注文はリストバンドの番号を伝えて行い、退館時に精算するシステムになっている。
昼に焼きそば、夜に唐揚定食を食べたのだが、どちらもかなりの美味さだった。

注文を受けてから作られるので出来たてが食べられるが、それでいて提供が速い。
しかも価格もお手頃で、この手の場所にありがちな割高感がない。
飲食物の持ち込みは禁止されているが、こういう食事ができるならそもそも持ち込む必要がないだろう。



▲藤森慎吾氏御用達らしい。

今回は他に目的地を作らず、夜まで「しきじ」にいると決めたことで、より堪能できた。
仮眠室もほんの少しだけ使ってみたが、寝台列車の「ゴロンとシート」のような感覚で使え、快適だった。
静岡という立地上、帰ろうと思えば帰れてしまうので今回も宿泊はせずに終わったが、
もし西日本の方面に旅行する機会があれば、今度は中継地点として宿泊も試してみたいと思う。

きのう行ったばかりなのに、既にまた薬草サウナに入りたくなってしまっている。
その魅力こそが、「しきじ」の聖地たる所以なのだろう。

【今日のまとめ】
水風呂で間違って循環水を飲んでいたのは秘密。


というわけで。
  1. 2018/02/16(金) 21:30:25|
  2. 日記
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なぜ、売れないから閉店する書店を守るのだろうか

先日、NHKのニュースで、「まちの書店を守る取り組み」というものが紹介されていた。
全国的に書店の閉店が相次ぎ、書店が完全に消え去った街もあるという状況下にあって、
自治体が書店を支援したり、クラウドファンディングによって新たに書店を立ち上げるという試みが行われているらしい。

だが、なぜ、売れないから閉店する書店を守るのだろうか。

他の事情があるならともかく、売上げを理由に閉店するということは、
極論を言えば、その書店は必要とされていないということを意味する。
必要とされていないものを労力をかけて守ろうとすることは、まさしく無駄な消耗だとオレは思う。

このように書くと、「書店にはネット通販にない魅力があるのだから、コストを払ってでも残す必要がある」とか、
「書店は知的好奇心を満たすためのインフラとしての役割がある」などという批判を受けるかもしれない。

しかし、魅力があるなら、どうしてその書店は閉店に追い込まれるほど売上げが落ちたのだろうか。
それに、ネット通販ではインフラとしての役割を果たせないという理由はどこにあるのだろうか。

書店は慈善事業ではなく、その役割を果たすものがあるとすれば、それは書店ではなく図書館だ。
多くの人間から必要とされなくなった書店が閉店するのは当然のことで、
また、今後もし多くの人間から書店が必要とされれば新たな書店が開店するという、ただそれだけのことだとオレは思う。

【今日のまとめ】
「図書券」の思い出。


というわけで。
  1. 2018/02/15(木) 20:00:00|
  2. 日記
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オレは努力と自分の頭で考えることが嫌いだ

仮想通貨の乱高下が相変わらず著しい
(もっとも、オレはろくに知識がないので、見る人が見ればそうではないのかもしれないが)。
仮想通貨は投機の対象として見られていてギャンブル性が高いからか、
競馬をやっている人が多いオレの周辺では、仮想通貨をやっている人は必然的に多い。

仮想通貨に限ったことではなく株や為替でもそうだが、見るからに忙しそうだ。
相場は小刻みに変わるので、常にそれを監視し、売り時や買い時を見計らわなければならない。
成功すれば大儲けできるのだろうが、
それは決して「楽して儲かる」類のものではなく、
普通に働くよりもよほど努力や思考力を必要とするものだ。

オレは努力と自分の頭で考えることが嫌いだ。

オレが入った慶應義塾大学法学部の入試は、当時、完全マーク式の英語と日本史の試験だけだった。
英語は、日本語が読めることを前提としてその一歩先の読解力を要求する国語と違い、文章を読めること自体が試験の内容となっているので、
ただ読めさえすれば内容は子供レベルで、ほとんど何も考えなくても解くことができた。
また、日本史は単なる穴埋めなので、暗記さえしていれば何も考えずに解くことができた。

その結果、オレは努力も頭も使うこともろくにせず、世間的には「それなりにいい」とされる大学に入学することができた。

勘違いしないでほしいが、オレは努力や自分の頭で考えることそのものが「無駄な消耗」だなどとは思っていない。
努力や自分の頭で考えることは人生において必要だし、避けては通れないことだ。
ただ、好きではないというだけだ。

だから、オレはしなければならない努力や自分の頭で考えることを怠るつもりはない。
しかし、それをしなければならない場面以外で、努力や自分の頭で考えることをすることは、嫌いなので徹底的に避ける。
それは無駄な消耗だからだ。
言い換えれば、オレは、しなくていい努力や自分の頭で考えることを避けるためには、
いくらでも努力するし、自分の頭で考えるということだ。

【今日のまとめ】
最近の入試がどうなのかは知らない。


というわけで。
  1. 2018/02/14(水) 12:10:31|
  2. 日記
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借金をしてまで大学に行く必要はない

先日、Twitterのトレンドで「奨学金破産」という単語を目にした。
この単語だけで容易に想像がつくが、クリックして記事に飛んでみると、
案の定、「奨学金を返せず、自己破産する若者が増えている」というものだった。

オレは、大学で特に何か勉強したいことがあるわけでもなく、取りたい資格に大卒が要件とされていないのであれば、
借金をしてまで大学に行く必要はないと思う。

こう書くと、「大学を出なければまともに就職できない」と返してくる人間がいるだろう。
だが、周囲を見れば分かる通り、中卒や高卒で働いている人間は大量にいる。
むしろ、「中卒や高卒で、どこにも就職できなかった」という人間の方が少数派だろう。

こう書くとさらに、「中卒や高卒が就職しているのはまともな会社ではない」と返してくる人間がいるだろう。
だが、有名大学以外を卒業した人間が就職する多くの企業は、果たしてその「まともな会社」なのだろうか。
大卒で就職し、給料が安く、ブラックで、パワハラが横行し、数年で辞めさせられてしまう会社は、
中卒や高卒の人間が就職する町工場や飲食店や小売店よりも優れた企業だろうか。

そもそも、「大学を出なければまともに就職できない」というのは論理として逆だ。

極端な例を挙げよう。
仮に、国民全員、あるいはそれに準じる数の日本人が大学に行かなくなったとする。
そうなれば、大企業の社員や政治家や公務員や医者や弁護士はどうなるだろうか。

話は単純で、中卒や高卒がそれらの職に就くようになるだけだ。
それらは必要な仕事なので、誰かがやるしかないからだ。
いま、そうした職業に大卒や大学院卒しか就けないのは、多くの人間が大卒や大学院卒だからだというだけだ。

要するに、みんなが大学に行っているから、大学を出なければ就職が難しくなっているのだ。
みんなが大学に行かなくなれば、大学を出なくても就職が容易になるというだけのことだ。
「大学を出なければまともに就職できないじゃないか」と憤る人間は、
まず、自分たちのそうした姿勢が、「大学を出なければまともに就職できない社会」を作り上げているということに気付いたほうがいい。
そうした人間は、自分で自分の首を締めているのだ。

大学は、明治や昭和初期の頃のように、選ばれた人間が行けばそれでいい場所だ。
それでもどうしても行きたいという金のない人間には、そこで初めて奨学金を出してやればいい。

オレは、私立大学を廃止し、選ばれた人間だけが国立大学に行くようにすればいいと思うのだが、
私立大学は営利企業なので、それは実現が難しいだろう。

ともかく、奨学金がどうこう言う以前に、「大学に行かなければならない」という考え方自体が、無駄な消耗である。

【今日のまとめ】
奨学金を仮想通貨に替えた人間がいないか心配だ。

というわけで。
  1. 2018/02/13(火) 20:27:26|
  2. 日記
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文頭を一字下げるルール

Twitterで、ある大学の教員が「最近の学生はレポートで文頭を一字下げない」とツイートしているのを目にした。
おそらく、インターネット上でコミュニケーションを取ることが一般化したことで、
原稿用紙を使って文章を書く機会が少なくなり、そうしたルールも身に付きにくくなったということなのだろう。

文頭を一字下げるというルールは、基本的には、一行の文字数や大きさが決まっている文書に適用されるルールだ。
任意の改行が許されない文書では、段落ごとに文頭を一字下げることで意味の区切りをはっきりさせなければ読みにくい。

だから、たとえばこのブログは一行の文字数が決まっていない
(一応ある程度決まってはいるが、任意の改行が許されるので、行末まで書くことが少ない)から、
特に文頭を下げる意味がなく、オレは下げないようにしている。
以前は下げていたこともあったが、特に視覚的な見やすさを得られなかったので、無駄な消耗だと感じてやめた。
そもそも、このブログは文書ではない。

ルールを知ることは大事だ。
学生が提出するレポートは文書に準ずるものなので、そのルールは守らなければならない。
だが、そのルールがいかなる場合に適用されるものなのかを知っておくことは、無駄な消耗を避けるために欠かせないことだ。
本来そのルールが適用されない場面で、そのルールが適用されるものと思い込み、勝手に縛られることは、無駄な消耗でしかないからだ。

【今日のまとめ】
最後に「以上」と書くルールもそうだ。


というわけで。
  1. 2018/02/11(日) 20:00:00|
  2. 日記
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プロフィール

キムラヤスヒロ(鳩)

「主に、オレの望みと喜びで。」

DLミニアルバム「主に、オレの望みと喜びで。」6曲入り、600円(税込)~

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