怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

サウナを覚えてオレの旅行は変わった

昨年の秋くらいから、サウナが好きになった。

それまでは暑苦しくて苦手で、いつも一分もしないうちに出ていた。
「我慢してサウナにしばらく入り、水風呂に入ると気持ちいい」という話は知っていたが、
オレは心臓が弱いこともあり、真似したら死んでしまうのではないかと思い、とても実践する気にはなれなかった。

ところが、昨年の夏ごろのことだ。
インターネット上で、身近な周囲の人間がこぞってサウナと水風呂の良さについて語りはじめた。
オレはそうした話題に自分だけ取り残されるのが嫌なので、それによってようやく水風呂に入る決心がついた。

そして、秋に大学時代のサークルの後輩を便って訪れた舞鶴のスーパー銭湯の水風呂にて、
「もしオレが怖気づいて水風呂に入ろうとしなかったり、すぐに出ようとしたら無理やり押し込んでくれ」
とその後輩に頼みながら、オレは人生で初めて首まで水風呂に浸かったのだった。

そこからは早く、どこの銭湯に行こうとも、オレはサウナと水風呂を求めるようになった。
それどころか、銭湯ではなく「サウナ」と銘打つ施設にも自ら好んで行くようになったのだ。

オレはもともと旅行(そのほとんどが一人旅だ)が好きなのだが、
サウナを好きになってから、より旅を楽しめるようになった。
たいていのサウナは、朝まで休憩室で眠れたり、カプセルホテルが併設されていたりする。
それまでは「おじさんが泊まる怖い場所」だと思って敬遠していたサウナに、好んで宿泊するようになったのだ。
この前などは、「旅行のついでにサウナに泊まる」どころか、サウナに泊まるために旅行をしたくらいだ。

サウナに泊まると、当たり前だが、サウナと水風呂をたくさん楽しめる。

サウナを好きになる前に泊まっていたホテルは、ただ寝るための場所だった。
ホテルはあくまで、その日の旅を終えて戻る、旅先における仮の住まいであって、ホテルにいる時間は「旅」ではなかった。

しかし、サウナに泊まることは、それ自体が非日常的な楽しみであって、それ自体が「旅」だ。
観光を早めに切り上げてサウナに戻り、サウナと水風呂を往復していても、もったいないなどとは少しも感じない。
そのこと自体が、楽しみにしていた目的の一つだからだ。

カプセルホテルは狭く、室内にはテレビくらいしかない。
テレビすらない場所もある。
だが、「サウナと水風呂を往復した後は、何もせずにさっさと眠るのが一番いい」というのは、サウナ好きなら誰でも知っていることだ。
むしろ、何かしようと思っても何もできず、一切の誘惑を断ち切ってスムーズな眠りに導いてくれるカプセルホテルの方が、サウナ愛好家にとっては都合がいいのである。

隣のおじさんのいびきなら、MOLDEXの耳栓を装着すればほとんど無音にできる。
耳栓を装着し、いったん横になったら、トイレ以外で起きることは朝までないだろう。
こうして、カプセルホテルにおいて、ビジネスホテル以上の快眠が手に入るのだ。

寝る前のサウナもいいが、朝のサウナもいい。
夜の睡眠導入剤的なそれとはうって変わって、朝のサウナと水風呂は、栄養ドリンクのようにすっきりと目を覚ましてくれる。

多くの場合、朝のサウナは宿泊者の特権だ
(3時間プランで早朝だけサウナに来るという人はなかなかいないし、朝の入場は受け付けていないところも多い)。
サウナと水風呂で目覚めた身体で、翌日の旅も全力で楽しめる。
何より、サウナ後に食べる朝食はうまくて、元気が出る。

サウナを覚えてオレの旅行は変わった。
旅を楽しめるようになっただけでなく、ビジネスホテルがカプセルホテルに変わったので、金銭的にも楽になった。
ふつう、金銭的に楽になればその分疲れるものだが、逆だ。
むしろ、サウナによってぐっすり眠れるので、これまで以上に疲れも取れるのである
(もちろん、立派なサウナの付いたビジネスホテルもたくさんあるのだが、それはまた別の機会に話そう)。

こうして、サウナは、オレの旅の一部になったのだ。

【今日のまとめ】
早くルーマプラザに行きたい。


というわけで。
  1. 2018/05/10(木) 22:48:48|
  2. 日記
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他人に対してそっけない態度を取るほうが愛想良く振る舞うよりも楽だという人間は異常だ

コンビニやスーパーや喫茶店に行くと、稀に、そっけない態度の店員がいる。
そういう店員は、声が小さかったり、作業が雑だったり、愛想が悪い。

オレは別に、そういうことは気にしないほうだ。
店員がそういう態度を取っているからといって、客を舐めているとか、仕事をしていないとは思わない。
それで雇用主が納得しているのなら、オレがとやかく言う筋合いはない。

とはいえ、そういう店員は、それで気持ち悪くないのだろうかと思う。
客のためにどうこうという視点を差し置いても、
単純に自分で、他人に対してそっけない態度を取ることで、疲れたり嫌な気分になったりしないのだろうか。

しないからこそ、そういう態度を取っているのかもしれない。
だが、少なくともオレ自身についていえば、
他人に対してそっけない態度を取るより、愛想良く振る舞っている方が気分がいいし、楽だ
(勘違いしないでほしいが、オレは、いついかなる時も愛想良く振る舞うべきだと言っているのではない)。

他人に対してそっけない態度を取るほうが愛想良く振る舞うよりも楽だという人間は異常だ。
それは、人間が社会的動物であることと矛盾している。
そうした人間は、日々無駄な消耗を蓄積させているから、いつか崩壊する。

【今日のまとめ】
繰り返すが、常に愛想良く振る舞うべきだとは言っていない。


というわけで。
  1. 2018/05/09(水) 20:48:59|
  2. 日記
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記録するということ

先日、地元の駅前にある老舗の喫茶店が閉店したという話を耳にした。

その店は、オレが以前にある賞に応募するために書いたライトノベル「なるこレプシー」で、
登場人物がアルバイトをしている店のモデルにした喫茶店だった。
「なるこレプシー」の作中にはもう一つ喫茶店が登場するのだが、
そちらのモデルにした大宮の「幹」という喫茶店も、数年前に閉店し取り壊されてしまった。

どちらもオレが勝手にモデルにしたというだけの話なのだが、やはり寂しい。
しかし、同時に、こうやって作品のモデルにしたり、撮影して画像としてアーカイブしておけば、
なくなった店や場所も記録として留めることができるのだということを改めて思い知った。
現に、作品を読み返せば、もう閉店した店にもまた出会えるのだ。

先日、GoogleフォトのアプリをiPadにインストールし、Mac内に入っている画像を一通りクラウドにバックアップした。
すると、撮影したこともほとんど忘れていたような数年前の写真が次々と画面上に表示された。
そこに写っている場所の中には、既に風景が変わってしまったり、なくなってしまったものも多い。
いまのところ、被写体が亡くなったということはないが、今後そういうことを起こってくるかもしれない。
写真として残しておけば、変わってしまったりなくなってしまった場所、
そして亡くなってしまった人にも再び出会える。
当たり前のことだが、そんなことをあらためて思い知った。

観光地で写真ばかり撮ることは、必ずしもいいことだとは評価されない。
自分の目に焼き付けた方がいい、という意見も理解できるところだ。
実際、名所を通り一遍のアングルで撮影するくらいなら、プロが撮影した絵葉書を買う方がいい。

だが、絵葉書にないような場所や、自分の身の回りの人間は、自分が撮影しない限り記録されない。
どんなにしっかりと眺めても、すべての思い出が記憶に焼き付けられるわけではないから、
やはり撮影できるときに撮影しておいた方がいいとオレは思う。
それは、無駄な消耗の対極にあるものだ。

【今日のまとめ】
ラーメンもすべて撮りたい。


というわけで。
  1. 2018/05/08(火) 22:29:08|
  2. 日記
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書くことが思いつかない

毎日ブログを書いていると、特に書くことが思いつかないことがある。
このブログはオレの思ったことを書く場所なので、
そうした時は、「特に書くことが思いつかない」ということを書けばよく、
それに加えて多少の思いつきを書けば、エントリとして成立してしまう。

しかし、そのようにしてエントリを書いてみると、これは以前にも書いたのではないかと思うことが多々ある。
そのような時は、得てして、検索してみると実際に過去に同じようなエントリを書いている。

おそらく、5年以上に渡って毎日書き続けていると、
ブログが、外部記憶装置のような役割を果たすようになるのだろう。
つまり、「オレの脳内に記憶しておかなくても、ブログに残しておけばそれでいい」という最適化が行われ、
いったんブログに書くと、オレはその書いた内容について忘れてしまうのである。
ブログはいつか消えてしまう可能性が高いので一定の危険性はあるが、それ自体は合理的なものだと思う。

オレは、同じことを何度も書くこと自体は悪いことではないと考えている。
同じことを何度も書くということは、そのことを強く意識しているということだからだ。
そして、強く意識しているということは、それが自分の中で重要な考えだということになる。
たとえば、「無駄な消耗」という概念のように、その重要な考えこそが、自分の生き方を形作ることにもなる。

もしかすると、きょうのこの内容も、既にいつか書いたことがあるものかもしれない。
だが、それは、オレの考えが変化せずソリッドなまま保たれているということだから、歓迎すべきことなのだ。

【今日のまとめ】
そのうちログを取得しておきたい。


というわけで。
  1. 2018/05/06(日) 21:40:49|
  2. 日記
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勝手に架空の敵を生み出して憤り、それに対して応戦している人

先日、あるバンドのメンバーが強制わいせつで書類送検された事件があった。
そのバンドは震災以降の福島を熱心に支援していたこともあって、
SNSでは、「今度は福島が彼らを応援する番だ」という投稿が溢れていた。
それ自体はいいことだと思うが、違和感もある。

そもそも、そのバンド自体は批判されていないのではないかと思う。
書類送検されたメンバーは当然批判されているが、バンド全体を批判している人は、オレの知る限り見当たらない。
しかし、上記のような投稿がある。
つまり、「そのバンドを叩いている人」はどこにもいないのに、
「そのバンドを叩いている人を叩いている人」で溢れているのである。

これは不気味だ。
どこにも敵がいないのに、勝手に架空の敵を生み出して憤り、それに対して応戦しているということだ。

これは、先日の、「副総理が35万円のスーツを着ている」という話題でも見られたことだ。
SNSでは、副総理が35万円のスーツを着ていることを叩く人に対する批判的な意見が数多く見られたが、
肝心の、「副総理が35万円のスーツを着ていることを叩く人」はどこにも見付からなかった。

言うまでもなく、これは、無駄な消耗の極致だ。
繰り返すが、こうした人たちは、敵がおらず、消耗する必要がまったくないのに、自分から敵を作り出しているのである。
オレにはその意味がまったく理解できない。

しかし、そうした、いかにも存在しそうな(しかし実在はしない)敵を批判するという論調は、支持を得やすい。
それは、SNSを見ていればよくわかることだ。
だが、そのような論調を支持する人間は、言うまでもなく、淘汰される側である。

【今日のまとめ】
一定のバイアスはありそうだが。


というわけで。
  1. 2018/05/05(土) 22:57:26|
  2. 日記
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  4. | コメント:0
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キムラヤスヒロ(鳩)

「主に、オレの望みと喜びで。」

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