タイキシャトルが亡くなったというニュースを目にした。
彼がかつて優勝したジャックルマロワ賞に日本馬のバスラットレオンが出走した直後の出来事であり、運命めいたものを感じた人も少なくないだろう。
タイキシャトルは、ちょうどオレが競馬を見始めた1998年に現役のラストイヤーを走っていた。
まさにジャックルマロワ賞優勝のニュースがスポーツ紙を飾ったタイミングに前後して、オレの競馬歴はスタートしたのだった。
いまと異なり、日本馬が海外のレースで活躍するのはまさしく夢のような出来事だった。
まともに勝負になることすら難しい中で直線のマイルGIを完勝したそのレースぶりは、競馬を見始めたばかりの小学生にとっても衝撃的なものだった。
タイキシャトルは1200メートルから1600メートルのレースに専念していたが、
もし当時外国産馬が秋の天皇賞に出走可能であったなら、さぞ面白いレースをしたに違いない。
彼が1998年の天皇賞に出走し、サイレンススズカと対戦していたら、という妄想は、誰もが通る道だろう。
圧倒的1番人気に推されながらも、余裕を残した仕上げで勝利できなかった引退レースのスプリンターズステークス。
サイレンススズカの悲劇とともに、「競馬に絶対はない」ということを、競馬ファン1年目の小学生によく教えてくれた馬だった。
雄大で美しいその栗毛の馬体は、晩年まで美しいままだった。
オレは、いや当時を知るすべての競馬ファンは、彼のその勇姿を決して忘れることはない。
【今日のまとめ】
ダートでももっと見たかった。
というわけで。
- 2022/08/18(木) 19:49:35|
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