神戸で男がホームから電車に飛び込み、フロントガラスを突き破って死んだというニュースを目にした。
おそらくは自殺が目的だろう。
男も本当なら線路に飛び込みたかったのだろうが、
ホームから線路へはかなりの高さがある。
たとえ電車が来ていなくとも、勢いよく飛び降りれば骨折するだろう。
いくらこれから死ぬという決意があっても、なかなか難しかったのだと思われる。
単に、通過する新快速が彼の想像よりも速すぎたのかもしれないが。
以前のエントリでも書いたが、
SNSでこの事件に関する反応を見ると、
やはり、「死ぬなら一人で死ね」という主張を多く目にする。
今回、この男が飛び込んだことで死者は出なかったが、複数の怪我人が出た。
他人に迷惑をかけるな、という主張それ自体は、理解できなくもない。
しかし、まず真っ先に「死ぬな」と言えないのが寂しく、そして悲しい。
コロナ禍において自殺者の増加が問題となっているが、
「死ぬなら一人で死ね」というのは、修飾語を除けば「死ね」と言っているのと同じである
(既に死んだ人間に対する「死ね」が何の意味もないという話は、以前にしたので置いておく)。
自殺者が増えている状況で、死のうとする、あるいはした人間に対して真っ先に出る言葉が
「死ぬな」ではなく「死ね」であるならば、この傾向はしばらく変わらないだろう。
ショーペンハウエルがどう言ったか知らないが、現代において自殺は悪である。
それを決行した人々を責める気はないし、責めても仕方がないが、
まだ生きていて、それを決行しようとしている人々を、オレたちは止めなければいけない。
【今日のまとめ】
お悔やみ申し上げる。というわけで。
- 2021/02/26(金) 20:45:39|
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