この時期になると決まってSNSに書かれるのが、「夏休みの宿題は意味がない」という話だ。
作業になってしまい勉強にならないとか、人によって必要な勉強は違うとか、理由は色々とある。
いまは宿題代行の業者さえあるらしく、確かに、そうした業者にみんなが頼るくらいなら、宿題は不要かもしれない。
ともあれ、代行業者に頼ることはともかくとして、オレは、夏休みの宿題はあっていいと思っている。
それは、「とりあえず宿題だけはやった」という達成感をもらえるからだ。
長い休みが終わり、さて自分はこの休みに何をしただろうかと自問したとき、
あれ、自分は何をしたんだっけ、と虚しくなる経験はないだろうか。
オレはある。
毎日何かをしていたような記憶はあるのだが、いざそれを挙げてみようとすると、
ただゲームをしていたり、友達と遊んでいたり、お菓子を食べていたような記憶しかない。
それはもちろん楽しいことだが、そこに達成感はない。
人間、達成感がないと、やる気がなくなる。
自分は何もできなかった、何もやっていない、という無力感に心をやられるのだ。
宿題は、確かにその内容に意味は薄いかもしれないが、
少なくとも自分は宿題をやったという達成感と、実際に終わらせた宿題という有体物が残る。
それだけでも、ひとりの人間に自尊心を維持させるには十分なものだとオレは思う。
むろん、それは別に宿題ではなくてもいいのかもしれない。
だが、宿題と同程度の強制力で、どんな落ちこぼれの生徒でも一応は必ず達成できる目標として、
やはり宿題は最適なのではないかとオレは思うのである。
【今日のまとめ】
アサガオの観察はよく記憶に残っている。というわけで。
- 2020/08/23(日) 22:23:09|
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