ビワハヤヒデが死んだ。
現在では「ナリタブライアンの兄」として語られることの多い馬だが、
その戦績の安定感では弟を上回っていたと思う。
ビワハヤヒデといえば岸滋彦のエピソードだ。
岸は共同通信杯の敗戦が原因でビワハヤヒデから降ろされることになる。
当時、同期の岡潤一郎の死で悲しみに暮れていた岸にとって、それはどれほど辛い出来事だっただろう。
ビワハヤヒデは紆余曲折があって岡部幸雄に乗り替わった。
当時は東西の騎手の、とりわけ若手とベテラン勢いの関係性が今ほど良くなかった時代である。
この乗り替わりがナリタタイシンの武豊を奮起させ、皐月賞はいわば「敵討ち」のような一戦となった。
関西の若手を代表する騎手であった武は、中山二千では掟破りの後方一気でビワハヤヒデを一刀両断した。
映像でも武のすさまじい気迫が伝わってくる。
関東のベテランに、このレースだけは負けるわけにいかなかったのだ。
柴田政人のダービー制覇は言うまでもないことだが、
この1993年世代のクラシックは、競馬のドラマを教えてくれる。
競馬にはサラブレッドの血のドラマだけでなく、人間たちのドラマもあるのだ。
ビワハヤヒデの訃報を聞いて、そんなことをあらためて思った。
どうか安らかに眠ってほしい。
【今日のまとめ】
ビワは旧勝負服のほうが好き。というわけで。
- 2020/07/21(火) 21:57:24|
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