先日、相模原の事件の判決が出た。
死刑判決に驚くところはないし、
これでもし死刑とならなければ、事実上死刑を廃止したに等しかっただろう。
そのことはどうでもいいが、
先日、Twitterであるツイートを目にしてオレは衝撃を受け、また悲しく、怒りを感じた。
被告人が折に触れて表明していた、
「意思疎通のできない障害者は人間ではない、生きている意味がない」という考えは、
実際に意思疎通のできない障害者に傷害やその他の被害を受け、
その障害者が無罪となったという経験のある人以外、
感情論なしでは反論できない、というのである。
これは明確な誤りであり、感情論なしで反論が可能だ。
意思疎通のできない障害者が犯罪を行なっても罪に問われないのは、責任能力がないからだ。
これは感情論ではなく、法律に書いてあるし、刑法の教科書にも書いてある客観的事実だ。
たとえば、同じく責任能力のない小学生が人を殺しても、罪には問われない。
では、その小学生は人間ではないのだろうか。
そう問うてみれば、それが誤りであることにすぐ気づくだろう。
オレがショックを受けたのは、
上記のツイートに賛同する人間がかなりの多数に及んでいたことだ。
被告人のように行動には移さなくても、同じように考えている人間が多数いるという恐ろしい現実がある。
繰り返すが、責任能力のない障害者は、責任能力のない人間だ。
そこに感情論は微塵も介在しない。
せめて、勉強をしてほしい。
【今日のまとめ】
簡単な勉強だ。というわけで。
- 2020/03/19(木) 16:31:31|
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