いま、インターネットは、ある県のイベントで開催されている展示についての話題でもちきりになっている。
オレはそれに興味がないし、それがどんな結果になっているかもまったく興味がないが、
一点だけ気になったことがあるので、そこについてのみ言及しておく。
このイベントの芸術監督が、展示の中止要請に対して「憲法21条で禁止されている検閲だ」と会見で発言していたが、それは明確に誤っている。
判例における「検閲」の定義は、
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」
である。
今回の展示はいったん展示されているため、「発表前にその内容を審査」していない。
したがって、中止要請は「検閲」に該当しない。
インターネットは議論には向かない。
向かないというより、議論をすることができない。
それは、言葉の定義のすり合わせができないからだ。
通常、話し合いでは、まずは定義の確認から始まる。
お互いの発言に出てくる単語の定義がずれていては、話し合いが無駄になるからだ。
ミカンのことをリンゴだと思っている人間と、リンゴのことをミカンだと思っている人間が、
ミカンとリンゴについて議論しても、永遠に結論にはたどり着けない。
ミカンとリンゴの定義をお互いにすり合わせ、共通の認識を持ったうえではじめて議論ができる。
しかし、インターネットではそれができない。
SNSでは、案の定、芸術監督と同じく「検閲」を誤って認識している人間と、判例通りの正しい認識を持っている人間が、
定義のすり合わせもせず、「検閲」について言った言わないの議論をしている。
それは何の意味もない。
ひたすらに、無駄な消耗である。
【今日のまとめ】
オレの黒歴史については触れない。というわけで。
- 2019/08/05(月) 13:06:12|
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