友人が亡くなった。
いまはその友人の通夜に出るため、新大阪行きの新幹線に乗っている。
ゴールデン・ウィークの連休も本来はその友人と大阪で飲む予定だったが、出発する前日に彼が意識不明であることを知らされた。
オレはそれを聞いたショックを紛らわすためにこの一か月ひたすら遊び続けたが、
ふとした瞬間に心に隙ができるたび、大きな寂しさが襲ってくるのだった。
5月の中旬、一般病棟に移った彼に会いに行った。
彼は言葉を話せる状態ではなかったが、その寝顔は安らかだった。
状況はよくないと家族の方に聞かされたが、
それでも、彼の顔を見たことでかなり気持ちは落ち着いた。
状況からして、いまのような日が来ることはわかっていた。
だが、やはり、その日が実際に来ると、寂しい。
これからふたたび彼に会うわけだが、
なんとなく、オレはきっと泣かないのではないかと思う。
おそらく、その場で襲ってくるのは悲しみよりも寂しさのほうが大きいはずだ。
彼はオレよりも歳上で、いろいろなことを教わった。
オレの楽器に参加してもらったこともあった。
一緒に聖地巡礼をしたり、レンタカーで旅をしたこともあった。
亡くなったことの悲しさより、そういうことがもう二度とできないことの寂しさのほうが、いまのところ大きい。
山田ワープさん、ありがとうございました。
【今日のまとめ】
また大吉山に登りましょう。というわけで。
- 2019/06/21(金) 14:32:15|
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