先日の京都で、複数の先輩に久しぶりに会った。
久々の嬉しさや積もる話もあり、オレは自分の話したかったことを好きに話した。
すると、決まって「こいつはやばい」「狂っている」などと言われる。
毎度のことだ。
それはオレにとって嬉しく、ありがたいことだ。
やばい人間や狂った人間を演じているのではなく、思ったままに話しているだけでそう評価されるということは、オレが本当にそういう人間だということを意味するからだ。
数年くらい前まで、オレは面白い人間になりたかった。
オレが面白いと感じる周囲の人間の行動や言動を観察したり真似たりして、自分も面白くなろうとしたが、
オレは結局面白い人間にはなれなかった。
面白い人間というのは、努力でなれるものではない。
社交性や愛嬌は努力である程度身につくが、面白さは生まれ持つものが大きい。
オレはそれを理解しつつも、面白い人間になることを数年前まで諦められなかった。
しかし、面白い人間になることを諦め、思うがままに生きるようになってから、
少なくとも、自分の人生は面白くなったように思われる。
「向いていないことをする」という無駄な消耗をやめた当然の結果ではあるが、
これほどまでに楽だとは思っていなかった。
そして、これはオレの思い上がりかもしれないが、
外から見ても、きっといまのオレの方が多少は面白いのではないかと思う。
【今日のまとめ】
「面白い」の定義自体もそもそも曖昧だ。というわけで。
- 2019/05/15(水) 20:00:00|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0