東日本大震災から8年が経つ。
だからどうしたということもないし、オレの親族や友人が震災で死んだということもない。
とはいえ、「だから年に一回も思い出せば十分」というのであれば、この日に思い出すのが最も理に適っている。
オレは大宮の鉄道博物館にいて、その2階で被災した。
当時はまだ開館から数年の新しい建物であり、耐震も充分だったため、被害は特になかったが、
高い天井のガラスがすさまじい勢いできしんでいたのをよく覚えている
(おそらく、あえてそのようにして、衝撃を吸収する仕組みなのだろう)。
建物から出され、大宮駅まで向かうと、大量の人でごった返していた。
電話は当然つながらず、人混みで駅構内の様子もわからない。
後から知ったが、駅の自由通路はスプリンクラーの作動で水浸しになっていたらしい。
電車は当然動いていないので、駅から歩き、その時一緒にいた当時の恋人の祖父母の家にたどり着いた。
そこで休ませてもらいながら見たのが、津波の様子を映した中継映像である。
Twitterのタイムラインも見たが、情報が錯綜しており、まだ全容はよくわからなかった。
結局、恋人の知人の車でオレは自宅まで帰してもらったのだが、
埼玉県内は当時多くのエリアで停電しており、街が異様に暗かったことを覚えている。
自宅は無事であり、自室も本が多少崩れ落ちていた程度で特に被害はなかった。
しかし、テレビをつけたことで、オレはこの地震の被害の大きさを知ったのだった。
この日が来るたびに思うのは、同じことが起きた場合に、オレはどう行動できるかということだ。
防災グッズがどうだとか、どこに避難するかとか、そうしたことではなく、
何を意識の中心に起き、それに基づいて動くかということだ。
オレは日頃から「無駄な消耗」についてあれこれ言っているのに、有事の際にそれを実践できなければ無意味だ。
具体的な策があるわけではないし、具体的な策を決め打てるなら、そもそもそれは災害ではない。
臨機応変な対応をしつつ、いかに無駄な消耗を避けられるか。
それを年に一度考えるのが、きょうという日であるのだろう。
【今日のまとめ】
翌日にいづみやで飲んでいた友人。
というわけで。
- 2019/03/11(月) 20:00:00|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0