先日、インターネット上で、北関東に住むある女性の記事を目にした。
一度東京に出て北関東に戻ったが居場所も仕事もなく、そのコミュニティの閉塞感と衰退に絶望している、
という内容のものだった
(オレはそう理解したが、詳しくは検索してほしい)。
オレは女性ではないし、北関東と言っても範囲は広いので一概には言えないが、
北関東はそれほど絶望するようなところだろうか、とオレは思った。
そもそも、地元や特定の地域に絶望するということが、オレにはよくわからない。
オレは北関東に住みながら東京に通勤している。
一日の半分以上は東京で過ごすので、北関東に住んでいながら、北関東にいる時間は短い。
そうすると、北関東のコミュニティが閉塞的だろうが、衰退していようが、どうでもよくなる。
嫌なら外に出ればいいというだけの話なのだ
(もっとも、オレは別に嫌だから出ているわけでもないが)。
他人に期待することは愚かなことだが、同じく、地域に期待することも愚かだ。
町に人が来ないからダメだとか、商業施設が誘致できないからダメだとか、
若者の頭が悪いからダメだとか、
それらはすべて外部的な要素に期待している。
町に人が来ることや、商業施設が誘致できることや、優秀な若者の登場に期待しているのだ。
それは無駄な消耗であって何も生まず、また外部的な要素に依存しているので、
たとえ一時的にうまくいったとしても、いずれ再び閉塞や衰退を招くことになる。
そもそも、水道や電気などのインフラが停止するレベルにでも達しない限り、
地元が衰退したところで特に何も困らない。
過疎化は深刻な問題だと言うが、それは道路や鉄道などのアクセスが貧弱な地域での話だ。
そうでない場所なら、単に移動して別の町に行けばそれで済む。
それすらも嫌だというなら、あきらめろ、としか言いようがない。
「地方をあきらめる」ことに後ろめたさを感じること自体、幻想的な呪縛であり、それ自体が無駄な消耗なのだ。
【今日のまとめ】
もうすぐ北関東に30年住んでいることになる。というわけで。
- 2019/03/03(日) 21:25:12|
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