Twitterのタイムラインを見ていると、
何かをやめると自分で言っておきながら、結局やめていないという人の存在が目立つ。
その「やめる」対象は主に酒やギャンブルであるので、単に依存症である可能性も高いが、
オレは医者ではないので、よくわからない。
それはともかく、やめられないのなら、はじめから「やめる」と言わないほうがいい。
それは責任感がどうだとか、そのほうがかっこいいとかいう話ではなく、
単にそれが最も無駄な消耗が少ないからだ。
まず、ギャンブルも酒も別に法律で禁止されていないのだから、やめなければいけない理由はない。
つまり、「やめる」と周囲に宣言する義務は何もないということだ。
義務がないのなら、わざわざ宣言し、そしてそれを破ることで信頼低下のリスクを負う必要はない。
また、自分との約束を破ることを繰り返すことで、精神が麻痺する。
普通は、自分との約束を破ることは精神的なダメージが大きい。
だから、破らないようにする。
しかし、自分との約束を破ることを繰り返しているうちに、
そのダメージの大きさに対する防衛機制が働き、
自分との約束を破ってもダメージを受けにくい精神が作られてしまう。
その結果、宣言してはそれを破り、再び宣言してはまた破るという循環が生じる。
一度そうなった人間は、もはや、自分との約束など何もできない。
本人たちがどう感じているかわからないが、
少なくとも、周囲の人間は、自分との約束を何度も破っている人間の発言など信用しない。
そうした人間の発言を信用することで、自分にリスクが及ぶ危険があるからだ。
それを好んでそうしているのならかまわないのだが、オレはそれを無駄な消耗だと感じる。
しかるべき機関に行き、適切な治療を受けるべきだろう。
【今日のまとめ】
こう言う手前、毎日エントリを書くこともやめにくい。というわけで。
- 2019/01/13(日) 20:00:00|
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