渋谷の桜丘町の一角が、再開発のために封鎖されるという話を耳にした。
オレは司法試験予備校に通うため、学生の頃から桜丘町に9年間ほど通っていたので、少し寂しい気持ちになる。
もっとも、オレは再開発というものには肯定的だ。
街や建物は消耗品で、その時代を生き、その街や建物を使う人たちのものだからだ。
古い建物が取り壊されたり、新しい再開発ビルの建設が発表されると、それを嘆く人が必ず現れる。
そして、保存すべきだとか、再開発は画一的で味気ないとか、そうした意見が必ずついてくる。
しかし、繰り返すように、建物は消耗品であって、芸術品ではない。
老朽化して使えない建物を、建物としての役割を捨ててまで残す意味は、果たしてどれほどのものだろうか
(勘違いしないでほしいが、
オレは、いまでも現役の建物としてしっかり使われている古い建物は好きだ。
旧豊郷小学校などはその好例だ)。
建物として使えない建物なら、記憶に残せばいいとオレは思う。
写真を撮ることもできるし、
現代ならば、VRとして擬似的に保存することも可能だ。
再開発のビルを味気ないと感じるのは、人間の感情によるものであって、客観的なものではない。
それをどう使うのかという視点から考えれば、必ずしも味気なくはないはずだ。
無駄な消耗を避けるためにも、
オレたちは、変化を受け入れるほうがいい。
【今日のまとめ】
寺社は現役の建造物なのでまた別だ。というわけで。
- 2018/12/20(木) 20:00:00|
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