先日、東京のある自治体で、中学校の全員給食を求める請願が不採択になったという話を目にした。
そもそも、給食が全員に出されることが当たり前でない自治体があるということ自体、オレは驚く。
全員で同じ食事を食べるというのは、メリットが大きい。
それ自体が会話のネタになるからだ。
今日のこのおかずはうまい、まずいとか、自分はこれが好きだとか嫌いだとかを話すだけでも、
幼い時分にはそれだけで楽しい。
食わず嫌いの食べ物を、友達がうまいと言っていたから一口食べてみたら好きになるということもあり得る。
それはまさに「食育」だろう。
前にも書いたことがあるが、子供の頃のオレは極端な偏食だった。
給食を完食したことは、小中学校の6年間で、両手で数えられるほどしかない。
牛乳とパンしか食べられるものがなかった日も多くあった。
だが、オレの通った小中学校では、完食を求められることはなかったので、特に苦痛はなかった。
いくら残してもよく、単に、腹が減っても自業自得だというだけだ。
腹が減るのは嫌なので仕方なく食べているうちに、好きになった食べ物も少なくない。
もしオレが給食の代わりに弁当を選択できる環境だったなら、
親はきっとオレの食べられるおかずだけを入れてくれていただろう。
そうなれば、オレはいまでもまったく偏食が直らなかったかもしれない。
その意味で、給食はありがたい存在だと思う。
それが無駄な消耗の対極にあるということは、言うまでもない。
【今日のまとめ】
牛乳を6本飲んだときは後悔した。というわけで。
- 2018/12/17(月) 20:00:00|
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