朝起きると、外の風があまりに涼しいので驚いた。
以前、「秋来ぬと〜」の短歌について触れたが、もはや「目にはさやかに見えねども」ではなく、目にはっきりと見えるレベルでの秋が到来している。
気付くと、裏庭の柿の木にも実がつき始めていた。
オレは四季の中で秋が一番好きだ。
涼しいので汗かきなオレにとってはありがたいし、オレがアレルギーを持つ花粉も秋にはない。
ラーメン二郎の行列に並んでも体力の消耗が少ない。
景色もいい塩梅に色付くし、金木犀も香ってくる。
だが、秋はどうにも短い。
一応、「四季」として、日数は春夏秋冬でだいたい平等だということになっているが、明らかに秋は短い。
9月も上旬はまだ夏のように暑いし(今年は順調だが、年によっては下旬まで暑いこともある)、
11月も中旬くらいになるとすでに冬のような寒さになってきて、コートやマフラーが手放せない。
すると、秋は、実質的には2ヶ月くらいしかないのだ。
一番好きな季節は一番長く味わいたいものだが、そうは問屋が卸さない。
それは仕方ないとして、そんな秋にも、オレが唯一苦手なものがある。
銀杏(ぎんなん)だ。
言わずもがなではあるが、臭い。
オレが日吉のキャンパスに通っていた頃、秋になると正門の銀杏並木から銀杏が大量に落ち、常に異臭を放っていた。
書いていると、あの臭いが幻臭のように現れてくる気がするから不思議である。
教室やサークルの部室は学生の靴底に付いた銀杏の臭いで充満し(雨の日などは特にすごかった)、講義を受けるだけでも辛い気持ちになったことをいまでも忘れない。
キャンパス内には銀杏を食べ物として拾いにくる近隣住民が少なくなく、学生からは「銀杏ババア」などと呼ばれていたが、
その銀杏ババアたちは、いま思えば、銀杏を少しでも拾うことでオレたちがそれを踏む危険を少なくしてくれていたのだから、オレは感謝しないといけないのかもしれない。
音や香りや風景などが特定の記憶を呼び覚ますということは珍しいことではない。
だが、まだ銀杏が実際に香り始めてさえいないのに、オレはただ秋になったというだけでこんなことを思い出してしまった。
それだけ、人の嗅覚というものは強いのである。
【今日のまとめ】
これは無駄な消耗かもしれない。というわけで。
- 2018/09/12(水) 18:52:47|
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