小学生のランドセルが重すぎるという問題を受け、文部科学省が、「置き勉」を認めるよう各教育委員会に求める方針であるというニュースを目にした。
確かに、オレが小学生の頃もランドセルはいつも中身がパンパンで重かったし、
「置き勉」は基本的に許されないので、
学期終盤などは死ぬほど重いランドセルに加えて大量の荷物を抱え、半泣きで帰ったこともあった。
いまだ発育期にある小学生の負担を軽減するためにも、荷物の重量を軽減するための施策は重要だろう。
だが、そのための手段が、「置き勉」の許可だというのは、暗澹たる気持ちになる。
生徒の荷物を軽くし、かつ教科書の紛失や盗難やいじめによる隠匿などを防止するにはどうすればいいか。
それは教科書の電子化に尽きる。
教科書を電子化すれば、置き勉などせず持ち帰ってもランドセルは重くならない(むしろ、ランドセルなど必要ないかもしれない)し、
これまで「置き勉」が禁止されてきた理由の一つであると思われる、教科書の紛失や盗難、いじめやいたずらによる毀棄・隠匿なども完全に防止できる。
電子書籍ではうまく字を書いたり線を引いたりできない、と言う人もいるかもしれない。
だが、それは10年前の話である。
iPad ProとApple Pencilを一度使わせれば、そうした人々は全員沈黙するだろう。
どうしても「紙に鉛筆で書く」という教育をしたいのなら、それは習字の時間を使えばいい。
もっとも、オレたちが日常生活で鉛筆やペンを使う機会などほとんどないことを考えれば、それが必要なのかどうかもわからないが。
この国は、表向きにはIoT戦略などに熱心だということになっているが、この件で、それがほとんど嘘だとわかりオレは絶望している。
少なくとも、役人たちの多くは、IoTのことなど微塵も考えていないのだ。
教育をつかさどるお上が無駄な消耗をしていれば、その監督の下で教育を受ける生徒もまた、無駄な消耗に明け暮れることになるだろう。
オレたちは、少なくとも自分の周囲の子供たちだけでも、そうした無駄な消耗から解き放たねばならない。
【今日のまとめ】
あれで背筋が鍛えられた気もするが。というわけで。
- 2018/09/03(月) 19:24:34|
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