インターネットを見ていると、とてもポジティブとは思えないニュースや出来事が多い。
そして、「ポジティブとは思えない」というのは、
そのニュースや出来事そのものというよりも、それに対して怒りを表明している人々に対する感情だ。
一つ一つのニュースを見れば怒るのも無理はないとも思えるが、それにしても、その「怒り方」があまりにも画一的だ。
そのせいで、まず「何かに怒ること」ありきであって、ニュースや出来事は何であってもいいのではないかと思えてしまう。
よく、頭のおかしい議員の存在やその発言がニュースになる。
国会議員であっても都道府県議会の議員であっても、その資質を疑うような発言や行動をとる人間が定期的に現れる。
ここ最近でも、LGBTに対する差別的な発言で「炎上」した議員がいた。
思うだけならともかく、それを口に出せば間違いなく炎上するというのは誰にでもわかるはずなのだが、なぜそうした行動をとってしまうのか不思議に思う。
もっとも、そうした頭のおかしい議員は存在して当然で、むしろ存在すべきなのではないかともオレは思う。
議会は、あらゆる人々の代表だからだ。
国会は全国民の代表たる国会議員により構成される議会で、都道府県議会も、各自治体の住民の代表たる議員により構成される議会だ。
世の中には、頭のおかしい人間や、極端な思想を持った人間も一定数いる。
そうした人々も、国民であり、どこかの自治体の住民である。
そうであるならば、そうした頭のおかしい人々の意見も、議会において反映される機会を与えられるのが筋だ。
頭のおかしい議員は、そうした頭のおかしい人々の代表だと考えることができる。
そうだとすると、アルコール依存症や重大犯罪者の国会議員も存在すべきだということになるが、国会議員の数が数百人と決まっている以上、さすがにそれは難しいかもしれない。
もちろん、これは、頭のおかしい人の意見が反映される機会が与えられればいいということにすぎない。
実際に反映されれば困ってしまう。
もっとも、多数決によって頭のおかしい人たちの意見が反映される状況にまで来ているとすれば、
それはもはや「頭のおかしい」意見ではないのかもしれない。
このように考えると、たとえニュースで国会議員の問題発言を目にしても、とりたてて怒りを表明する必要はなくなる。
そうした議員は、オレたちの代表ではないからだ。
それが無駄な消耗を避けることにつながるのは、もはや言うまでもないことだ。
【今日のまとめ】
どうせ次の選挙では消えるだろうし。というわけで。
- 2018/08/03(金) 17:21:37|
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