JRAの競馬場の場内実況で知られるラジオNIKKEIのアナウンサーが、網膜剥離で入院したという話を目にした。
手術を受け、2週間入院するらしい。
オレも、10年前の8月に網膜剥離で2週間入院したことがあるので、親近感がわくと言ったら不謹慎だが、気持ちがよくわかる。
当時、視力が非常に悪かったオレは、
レーシック手術を受けるため、有楽町のレーシック専門のクリニックに行った。
そのクリニックは当日の手術は受け付けておらず、別日程で事前検診を受け、その結果が問題なければ手術を受けられるというシステムだった。
眼圧の検査や桿体細胞の検査、視力検査など様々な検査を済ませた後、最後に眼科医による検診を受けた。
そこで、眼科医から発せられたのは、
「網膜剥離です。レーシックどころではないので今すぐ入院して手術してください」という言葉だった。
オレは気が動転しつつも地元へ帰り、そのすぐ後に入院し、手術を受けた。
手術は、眼球の裏側に小さなゴムバンドのようなものを埋め込み、それで剥がれた網膜を押さえつけるというものだった。
ゴムバンドを裏側に入れるとともに眼球の表面にガスを注入し、その重みで網膜を下に引っ張り、細胞がくっつくまで待つという作業が必要になるため、
術後は基本的にうつ伏せで過ごすことになった
(前を向いたりすると、注入したガスが重力で上に行ってしまうため、網膜がくっつかない)。
器具などで姿勢を固定されることはなく、食事などの際は多少前を向くことも許されたが、それでも辛いものがあった。
当然、就寝時もうつ伏せで眠るのだが、人間、そういうふうにはできていないので、気付くと仰向けになっている。
目が覚めた途端にうつ伏せに戻り、また眠るという生活を病院のベッドで繰り返した。
手術中や術後の痛みはそれほどなかったが、この生活がなかなかシビアだったことを覚えている。
どうにか無事に網膜はくっつき、今では年に一度検診を受けるだけで済んでいる。
レーシック手術も、その年の年末には受けることができた。
怖いのは、オレの網膜剥離には自覚症状がまったくなかったことだ。
手術が必要なレベルの網膜剥離では視野が欠けることが多いというが、オレは、自分が網膜剥離だとわかってからも、そうした視野の欠けを認識することができなかった。
自覚症状がなかったのだから、もしオレがレーシックを受けようとして事前検診を受けなければ、オレは失明するまで網膜剥離に気付かなかったかもしれない。
そう考えると、人の生き死ににかかわらず、人生のあらゆる出来事は、やはり運なのかもしれないと思える。
【今日のまとめ】
今でも右目だけ充血したりする。というわけで。
- 2018/07/25(水) 18:44:01|
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