オレは方言に憧れている。
オレが住んでいる地域では、北関東訛りはあるが、あまり方言がない。
茨城弁といえば「ごじゃっぺ」という言葉があるが、オレはいまだにその意味を知らない
(たまに調べるのだが、すぐ忘れてしまう)。
むしろ、茨城県といってもほとんど栃木の県境に住んでいるので、栃木弁の方が馴染みが深いくらいだ。
U字工事という栃木弁の漫才コンビがいるが、彼らの話し方のほうが茨城弁よりもよほどオレにはわかりやすい。
そうした経緯もあり、オレは方言を話している人を見ると、羨ましく感じる。
(オレは、自分の持たないものを持っている人が常に羨ましいのだ)。
とりわけ、方言の中でも、特定の地域でしか通じない単語が羨ましい。
「車校」「離合」「カットバン」「押しピン」「放課」など、独特の存在感のある単語だ。
オレは、そういう単語を日常使うものとして持っていない。
以前、車で京都に行った際、路上で「この先離合困難」という看板を目にして興奮した。
明らかに、「離合」という単語が、「すれ違う」という意味で用いられている。
こういうものを見ると、自分が普段と違う場所に来たことを痛感する。
オレも、すれ違うことを「離合」と言ったり、絆創膏を「カットバン」と言ったり、
画鋲を「押しピン」と言ったりしてみたい。
だが、その地域の人間でないオレがそのように言っても、「にわか」扱いされるだけで、無駄な消耗になる。
結局は、憧れでしかないのである。
【今日のまとめ】
祖父母は傘を「コウモリ」と呼んでいた。
というわけで。
- 2018/07/07(土) 18:17:05|
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