Twitterのタイムラインを眺めていると、
自分のフォローしているアカウントが「いいね」を付けたツイートが流れてくる。
残念なことに、表示されたそのツイートが、ただ「正しい」ことを言っているだけのことが比較的多い。
それを「いいね」したアカウントがオレと仲のいい人間であることも少なくなく、オレはがっかりしてしまう。
そうした人間は、無駄な消耗をしているからだ。
ただ「正しい」ツイートは、特に何も言っていない。
そうしたツイートは、誰もが既にそれが「正しい」と分かっているからわざわざ口に出して言わないことを言っているだけだからだ。
「1に1を足すと2だ」とか、「太陽は東から登る」ということをあえて言う人間はいない。
だが、その内容が多少複雑になると、それと実質的に変わらないレベルのことを言う人間が増える。
そして、それをフォロワーの多い人間が発信すると、それを大量の人間が「いいね」したり、リツイートする。
言われなくても初めから知っていることであるにもかかわらずだ。
結局、それは単なる自己肯定でしかない。
フォロワーの多い凄い人が、正しいことを言ってくれている、
自分と同じ意見を言ってくれている、ということを、「いいね」やリツイートで誇示しているだけだ。
人によって1+1の答えや太陽の登る方角が違わないように、ただ「正しい」発言は誰が言おうと同じなので、
自分と同じ意見を言うのは当たり前なのだが、それを知ってか知らずか、多くの人間がそこに群がる。
言うまでもなく、それは無駄な消耗だ。
ただ「正しい」ことは、議論の余地のないことだからだ。
そんなことに時間を費やしている暇があれば、ただ「正しい」だけではない事柄について話したり、考えたり、それこそ「いいね」を付けるべきだ。
インターネットでは、「きれいな逆張り」とでも言うべきものが多い。
たとえば、「ワイドショーのコメンテーターは知ったかぶりで駄目だ」とか、
「店員は給料に見合った働きをすればそれでいい」とか、そうした類の意見だ。
それは明らかに正しいが、現実にはその意見が反映されたり実現していないことが多い。
そのような「きれいな逆張り」は、
現実と違う分、ただ「正しい」だけであるにもかかわらず、まるでその意見に意味があるかのような錯覚を起こす。
しかし、実際にはただ「正しい」だけで何の意味もない。
それは、そのような意見がまるで金太郎飴のように全く同じ形で何度も様々な人間の口から出てくることからも明らかだ。
繰り返すが、オレたちは、そのような無駄な消耗をしている暇はない。
議論の余地のない、ただ「正しい」だけのツイートに「いいね」をしているような人間は、
この先の有事の際、優先的に淘汰されることになるだろう。
【今日のまとめ】
何がただ「正しい」ことかを見極める力こそが、生き抜く力だ。というわけで。
- 2018/06/25(月) 20:00:00|
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