近年のSNSを眺めていてよく思うのが、
インターネットでは、声の大きい者や、インパクトのある発言をした者が多数派となるということだ。
現実では少数派である意見でも、インターネットは文字としてしか表現されない。
その結果、強い語調で書かれた投稿や、内容にインパクトのある表現のほうが、そうでない普通の表現よりも勝つ。
インターネットでは、実数は関係ないのである。
近年のSNSでは、社会的な弱者がむしろ強者となっている。
多くの人間が、ブラック企業を糾弾していて、セクシャルマイノリティには寛容で、鬱病の人間にも優しい。
それは現実とは(残念ながら、と言ったほうがいいのだろうが)真逆だ。
SNSを見ていると、この国は非常に先進的で優しい場所のように思えるが、現実はそうではない。
これは、SNSで多数派の意見は、実社会では多数派ではないということを意味する。
それを無駄な消耗であると言うつもりはないが、どれほどの意味があるのだろうとも思う。
SNSで発信されて多数派となった意見が現実に反映されていないのであれば、それは虚しいことだからだ。
ブラック企業が現実になくなり、セクシャルマイノリティが普通になり、鬱病の人間に寛容な社会が実現されたり、その兆しが見られないのなら、それをSNSにいくら書いても、単なる空想や愚痴に終わってしまう。
よく、「SNSの登場で世の中が変わった」という論調を目にする。
だが、オレはそこまで変わっていないと思う。
SNSで叩かれているような中高年たちは、実社会ではいまだに平然としている。
大炎上して謝罪に追い込まれるような一部の事件を除けば、SNSなど、彼らにとっては全く関係のない場所なのだ。
勘違いしないでほしいが、オレは、だからインターネットで社会を糾弾するのをやめろと言うつもりはない。
あくまで、インターネット上での多数派は現実の多数派ではないということを確認したいだけだ。
その現実を理解した上でいろいろと書き込むことは、無意味ではないだろう。
【今日のまとめ】
このエントリ自体もその一部だ。というわけで。
- 2018/06/23(土) 20:00:00|
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