先日、久々に渋谷駅から代官山の蔦屋書店まで歩き、そこからさらにラーメン二郎目黒店まで歩いて移動した。
いい散歩になり、それなりに楽しかったが、地元ではない街を歩いているにもかかわらず、ワクワク感があまりなかった。
それは、東京がつまらないとか味気ないとかそういう話ではなく、
単純に、自分が東京の側だからそう感じてしまうのだろう。
オレが名古屋や京都の街を同じように歩いている時に覚えるワクワク感は、
自分の持たない中部や関西の文化に対する憧れや羨望に伴うものなのだと思う。
もしオレが関西に生まれていて、観光で東京に来ていたら、いったいどのような気分を味わえたのだろう。
そういえば、中学校の修学旅行も京都だった。
修学旅行というと、修学旅行やその前に経験した宿泊学習などで毎回気になったのが、なぜ部屋を出る時に布団を畳むのかということだ。
修学旅行では、最後に部屋を出る際、布団からシーツを外し、布団を畳んで部屋の隅に置く。
それが礼儀作法であるというのは何となく分かるのだが、あれは無駄な消耗なのではないかとオレは当時から思ってしまっていた。
いくら綺麗に畳んであるといっても、旅館やホテルのスタッフは、そのまま布団を押し入れに戻すわけにはいかない。
見た目は綺麗でも、髪の毛が付着していたり、汚れているかもしれないからだ。
結局、いったん広げて汚れを確認したり、洗ったりしなければならないのだから、畳んであってもあまり意味はない。
洋式のホテルなどでは、使ったのか使っていないのかわからない状態に見えることを避けるために、
たとえ使っていないアメニティでもわざと開けたり、タオルを広げたりするようなことをするのが却っていいという話も聞いたことがある。
礼儀作法として多少は整えて帰ったほうがいいという気持ちは分かるが、修学旅行でやらされたように綺麗に布団を畳む必要はないのではないかとオレは思う。
そうはいっても、オレも典型的な日本人なので、みんながそうしているとオレも綺麗に畳んでしまう。
だが、そうした「日本人の精神性」のようなものを讃えるとそれは軍歌だと言って叩かれるので、無駄な消耗だ。
【今日のまとめ】
少なくともシーツは畳まなくていいと思う。というわけで。
- 2018/06/17(日) 23:20:08|
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