先日、あるロックバンドが右翼的にしか見えない歌詞の楽曲を発表して炎上したという件について書いた。
オレは、そのバンドがそういう曲を書きたいのであれば何の問題もないと思うが、
「日本が好きだ」ということを表明する時に、
ほとんどの人間が、決まって、日の丸や君が代や靖国神社のような定型的なモチーフを使うことは不思議だと感じる。
そもそも、この国では、「愛国心」という単語を用いた時点で、
街宣車だとか、それこそ日の丸や君が代や靖国神社のようなモチーフが想起される傾向にある。
だが、愛国心というのは、まさに国を愛する心で、「この国が好きだ」ということだ。
オレは、食べ物が安くてうまく、電車が時間通りにたくさん来て、道路状況も良く、衛生や治安もそれなりにいいこの国が好きだ。
そうするとオレは「愛国者」だということになるが、
もしオレがTwitterのプロフィールに「普通の愛国者です」などと書けば、確実にネット右翼だと思われ、周囲から距離を置かれるだろう。
なぜ、「愛国」がそのようなイメージで固定されたのだろう。
例のバンドも、彼らの言う通り、ただ日本が好きだということを歌いたいだけなのであれば、
別に御霊がどうのこうのと歌う必要はなく、単に、食べ物がうまいとか、電車のダイヤが正確だということを歌えばいいのではないだろうか。
自分の住む国が好きなのは当たり前のことだが、
それを表明するのに君が代や日の丸や靖国神社というモチーフを借り物のように持ってこなければならないのだとすれば、それは無駄な消耗だ。
第一、音楽その他の芸術作品は、他人がやっていないことを形にしてはじめて意味がある。
古来からの表現で「この国が好きだ」ということを表現した曲には「君が代」が既に存在していて、その完成度では誰もかなわない。
しかも、「君が代」は著作権フリーだ。
冒頭のロックバンドは単に「君が代」をカバーすればよく、
もしそれが右翼的に思えて嫌なのなら、食べ物がうまいとかダイヤが正確だとか、自分の言葉で日本の好きな部分を歌えばよかったとオレは思う。
もし、彼らが本当に「御霊」のような国民の精神性を「日本の好きな部分」としているのであれば、
それは国粋主義という右傾思想なので、「右でも左でもない」は嘘になってしまう。
自分の思想を自分で理解していないのだとすればそれもまさに無駄な消耗なので、
この件は無駄な消耗に支配された一件であると総括するほかない。
【今日のまとめ】
左傾も「反原発」などに固定されている気はするが。というわけで。
- 2018/06/13(水) 23:26:27|
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