オレが無駄な消耗を避けるために日頃から取っている行動はいくつもあるが、
その中の一つとして、
「障がい者」や「子ども」などの表記を目にしたら、その記事をすぐに閉じて見ないようにする、
というものがある。
そうした言葉を使うという行為は、明らかに無駄な消耗だからだ。
「障害」を「障碍」と言い換える人間もいるが、なぜその単語の時だけ突然常用漢字の使用を避けるのかオレにはわからない。
「障害者」や「子供」という表記には、何一つ侮蔑的な意味はない。
そこに勝手にそうした意図を見出されても、こちらが何とも思っていない以上、どうしようもない。
表記とは異なるが、「障害者」を「障害のある人」などと言い換えなくてはいけない風潮にも同じことが言える。
たとえどう思う人がいようと、単語それ自体に侮蔑的な意味がなく、またオレ自身も侮蔑的な意図を持っていない以上、
オレは「障害者」や「子供」という表記は絶対にやめない。
「不快に感じる人がいるかもしれないから、表記や言い回しに気を遣う」ということは、一見正当に思える。
しかし、何を不快に感じるかは人それぞれだ。
とりわけ、「障害者」「子供」のような、それ自体に問題のない単語の使用に関しては、もはや言葉狩りの領域になり、
「不快に感じる人がいるかもしれない」を徹底すれば、一切の発言が封じられる。
そして、最終的には、「『不快に感じる人がいるかもしれない』という理由で仕方なく発言を我慢している人間は不快だ」というようなことを言う人間が現れ、
最終的には、その状況を解決する手段は、もはや人類の集団自決くらいしか残されないだろう。
それは明らかに無駄な消耗であるから、オレはそれに与しない。
【今日のまとめ】
「中山グランドジャンプ」の先見の明。というわけで。
- 2018/06/04(月) 21:07:37|
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