テイエムオペラオーが死んだ。
22歳だったらしく、人間で言えば80代を超えているので充分な大往生だが、自分が競馬を見始めた時代のスターホースなので残念だ
(先日、一歳上のスペシャルウィークが死んだばかりなのでなおさらそう感じる)。
オレが初めてダービーを中継で観たのは、1999年だった。
アドマイヤベガとナリタトップロードが人気を分け合い、その年の皐月賞馬テイエムオペラオーは3番人気だった。
オレはまだ競馬歴が浅かったので、皐月賞馬が1番人気でないことを不思議に思っていた。
レースはその三頭ぼ勝負で、テイエムオペラオーが早めに抜け出した。
直線の長い府中ではやや早仕掛けで、関西の若手であり府中での騎乗経験がまったくなかった和田の若さが出た。
そこに、道中じっくり構えた渡辺のナリタトップロードが襲いかかる。
「和田の次は渡辺か」と多くのファンが思ったところを、武豊のアドマイヤベガがさらに外から強襲した。
武豊は史上初のダービー連覇を達成し、昨年スペシャルウィークで勝つまで「武豊はダービーを勝てない」と言われていたのが嘘のような結末になった。
まるで二段落ちの映画のようなレースだった。
単純な騎手の技量の差ということももちろんだが、一度ダービーを勝っている騎手とそうでない騎手とではここまで違うのかと、オレは子供ながらに思ったのだった。
オレはこのレースで、競馬は馬の強さだけで決まるものではなく、騎手の駆け引きなのだということを学んだ。
前年のサイレンススズカの死からは「競馬に絶対はない」ということを学ぶことができたが、
そのようなレースを立て続けに見ることができたからこそ、オレは競馬を好きになり、今でも見ているのだろう。
その後のテイエムオペラオーの活躍は今さら語るまでもない。
勝ち続けることがいかに難しいかということを、実際に勝ちながら、そして負けながら教えてくれた馬だった。
調教師と騎手の師弟関係も含めれば、こんな馬を見ることはもう二度とできないのかもしれない。
【今日のまとめ】
春天を生観戦した思い出。
というわけで。
- 2018/05/20(日) 21:29:20|
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