ネット上で、「3500枚のCDを捨てた」という旨のタイトルのエントリを目にした。
その内容はタイトルから推測されるような単なる断捨離ものではなく、
サブスクリプションモデルが主流となった現状における音楽との向き合い方や、
捨てることをテーマとする一方でCDに対する愛着についても分析的に語られた真摯なエントリだった。
その内容については、「CD 捨てた」などで検索してもらえればすぐに出てくるので、ぜひ読んでもらいたい。
そのことと直接関係はないが、
オレはここ最近、「所有感」に対する意識が変化してきているという自覚がある。
これまでに何度か書いたかもしれないが、
端的に言うと、CDや印刷書籍を持つことが必ずしも「持っている」という精神的満足感につながらず、
むしろダウンロード形式でデータとして所有する方が、「持っている」という精神的満足感を得ることができる場合が増えてきたということだ。
それがなぜなのかは完全には分析できていないし、そもそも理屈で説明できるものなのかもわからない。
ただ、「クラウドにより、スマートフォンやタブレットに情報を集約できる」
というここ数年の技術的進歩がそれをもたらした可能性が高いとオレは考えている。
この「所有感」に対する意識の変化は、おそらくオレだけが感じているものではない。
スマートフォン上のカードゲームがこれだけ流行している事実がそれを物語る。
ゲーム上のカードはどれも単なる画像データにすぎないし、
サービスが終了すれば、たとえ課金していてもそれらのカードはゲームごと消えてしまう。
それでも、数万人から数十万人というアクティブユーザが、それなりの金を払って仮想のカードゲームを楽しんでいる。
それは依存症に似た部分もあるにはあるだろうが、
やはり、データであっても、カードを所有しているという感覚を多くの人間が味わえるようになってきたという側面が大きいはずだ。
物質に対するあたたかみ、という感情はオレも理解できる。
だが、多くの人間の間で、データにもそうしたあたたかみが生まれつつあることは無視できなくなってきている。
それに目を背けて物質にのみ依存することは、今後、無駄な消耗となるかもしれない。
【今日のまとめ】
新しい結び方。というわけで。
- 2018/05/11(金) 22:34:07|
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