先日、あるバンドのメンバーが強制わいせつで書類送検された事件があった。
そのバンドは震災以降の福島を熱心に支援していたこともあって、
SNSでは、「今度は福島が彼らを応援する番だ」という投稿が溢れていた。
それ自体はいいことだと思うが、違和感もある。
そもそも、そのバンド自体は批判されていないのではないかと思う。
書類送検されたメンバーは当然批判されているが、バンド全体を批判している人は、オレの知る限り見当たらない。
しかし、上記のような投稿がある。
つまり、「そのバンドを叩いている人」はどこにもいないのに、
「そのバンドを叩いている人を叩いている人」で溢れているのである。
これは不気味だ。
どこにも敵がいないのに、勝手に架空の敵を生み出して憤り、それに対して応戦しているということだ。
これは、先日の、「副総理が35万円のスーツを着ている」という話題でも見られたことだ。
SNSでは、副総理が35万円のスーツを着ていることを叩く人に対する批判的な意見が数多く見られたが、
肝心の、「副総理が35万円のスーツを着ていることを叩く人」はどこにも見付からなかった。
言うまでもなく、これは、無駄な消耗の極致だ。
繰り返すが、こうした人たちは、敵がおらず、消耗する必要がまったくないのに、自分から敵を作り出しているのである。
オレにはその意味がまったく理解できない。
しかし、そうした、いかにも存在しそうな(しかし実在はしない)敵を批判するという論調は、支持を得やすい。
それは、SNSを見ていればよくわかることだ。
だが、そのような論調を支持する人間は、言うまでもなく、淘汰される側である。
【今日のまとめ】
一定のバイアスはありそうだが。というわけで。
- 2018/05/05(土) 22:57:26|
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