インターネットで、ある記事が話題になっていた。
その内容は、かいつまんで言えば、
田舎で育った人間は、そもそも周辺に大学が少ないかまったくなく、「大学に行く」という選択肢が思い浮かびもしない生育環境にあり、
また、書店や大きな図書館やCD屋などの文化的拠点も少ないので、都会で育った人間との生まれながらにしての格差が生じている、というものだ。
その記事の著者は、「都会の人にこそ読んでほしい記事だ」と書いていた。
しかし、それを読んだところでどうにもならない。
何も解決法がないからだ。
簡単に思いつく案としては、田舎でも大学レベルの教育を受けられるサテライトキャンパスや大学の通信課程を充実させるというものがある。
だが、「大学に行く」という発想を親や教師が持たない環境では、そのような環境を用意したところで、ほとんどの人間は大学に進学しないだろう。
最も効果的なのは、「東京の裕福な家に運良く生まれる」ということだが、そんなことを今さら言ってもどうしようもない。
結果として、冒頭に述べた教育的、文化的な生まれながらの格差を埋める手段はない。
原始共産制のようにレベルを低い方向に合わせる格差の消滅は可能かもしれないが、そんなことをすれば国が滅びる。
解決法の呈示もなく、ただ「格差が存在します」と表明することは、無駄な消耗だ。
それは、ただ「正しい」だけの主張であって、何の意味もない。
考えたところで事態は改善できないし、場合によってはそれを知ることで苦しむ人間もいるだろう。
プラスの要素がないのにマイナスのリスクだけ生じるのだから、無駄な消耗だ。
それとも、解決法が何か存在するのだろうか。
オレにはわからないし、きっと誰もわからないだろう。
【今日のまとめ】
運も無駄な消耗を避けるためには欠かせない。というわけで。
- 2018/04/25(水) 20:48:09|
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