海外の著名なDJが死んだというニュースを目にした。
そのDJはオレと同い年だった。
オレは人の死に悲しみを感じることはほとんどないし、今回も悲しいとは思わない。
だが、残念であるとは感じる。
そして、当然ながら、世界中の人々が、そのDJの死に悲しみや残念さを感じている。
悲しみや残念さを感じるというその一点において、人は死んではいけないとオレは思う。
それが病気であれ、事件であれ、事故であれ、自死であれ、他殺であれ、運であれ、そして寿命であれ、死んではいけない。
たとえ死んだ本人にまったく責任がなくても、死んではいけない。
そんなことを言ってもどうしようもないのだが、たとえどうしようもなくとも、死んではいけないのだ。
他人に悲しみや残念さを与えることは、無駄な消耗だからだ。
オレは無駄な消耗を避けるために「生き抜く」ことを人生の目標にしている。
だが、そのオレもいつかは死ぬ。
オレが最も嫌う「無駄な消耗」だが、死という無駄な消耗からは逃れられない。
これをどう受け止めるか、あるいは受け止めずに放っておくか、オレはそれを考える必要がある。
【今日のまとめ】
人の死をコンテンツにしたくはないのだが。というわけで。
- 2018/04/21(土) 21:00:40|
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