音楽やその他の芸術作品に触れていて思うのだが、
どうにも、何かに対する抑圧や、それに対する反抗を描いた作品が多い。
特に音楽では、社会に対する違和感を歌うバンドや歌手やラッパーが大勢いるし、
若者に人気のとあるアイドルグループは、大人に対する反抗のようなことを延々と歌っている。
オレは、みんな本当にそこまで何かに抑圧されていたり、それに反抗したいのだろうかと思ってしまう。
もちろん、ロックやパンクが反体制的な思想をその根に持っていることはオレも知っているが、
いま音楽をやっている人間が、皆それを意識して抑圧や反抗を歌っているとは思えない。
仮にそうした音楽家がいたとしても、それは少数派だろう。
オレ個人についていえば、オレはこれまで生きてきて、何かに抑圧されていると感じたことはないし、
当然、何かに反抗したいと考えたこともない。
だから、オレは、冒頭に触れたような音楽を聴くと、どうにも嘘臭く感じてしまう。
もちろん、そうした曲を書いた人間は、実際に何かに抑圧されていたり、反抗したいのかもしれない。
それが間違っているとはオレは思わない。
きっとそれに共感し、支持する人も多くいるのだろう。
だが、すべての人間がそうではないし、オレのような人間も多くいるはずだ。
しかし、「何にも抑圧されていないし、反抗したいとも思わない」というスタンスを歌によって伝えている音楽家は殆ど見ないし、それは他分野の芸術においてもそうだろう。
そんなことをわざわざ伝える必要がないというのもあるだろうが、
現状の音楽が「抑圧と反抗」の通り一遍である以上、
それは充分にカウンターとして機能し得るから、オレは面白いことだと思う。
「抑圧と反抗」を歌っている多くの音楽家たちは、きっとこうした考えを理解しないのではないかとオレは思う。
彼らは、オレのような人間を「去勢されている」とか、「本当は反抗したいのに我慢しているだけだ」と考えてしまうのではないだろうか。
だが、そうではなく、オレは単純に抑圧されていないだけだ。
もし抑圧されていると感じればオレだってきっと反抗するだろうが、そんな対象は今のところない。
オレはむしろ、そうしたことを音楽や何らかの作品で伝えたいと思っている。
それは、無駄な消耗を避けることにもつながる。
【今日のまとめ】
GRAPEVINEはそれに近い感じがするので好きなのかもしれない。というわけで。
- 2018/04/18(水) 20:58:05|
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