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怠惰と汗と現実と

キムラヤスヒロ(鳩)公式ブログ

「何かをやめる」という宣言は無駄な消耗だ

新年度が始まった。
環境が変わり、何か新たな目標を立てる人も多いだろう。

その中で、「何かをやめる」という宣言をする人が多い。
だが、それは無駄な消耗だとオレは思う。

「やめる」と宣言して、もし結局やめることができなかった場合、
自分との約束を守ることができなかったという自責の念が生じ、自尊心が傷付く。
一度「やめる」と言ってしまった手前、再度やめることを試みるが、
一度やめられなかったのだから当然やめられず、再度自尊心が傷付く。
その結果、自尊感情は大幅に低下し、「自分はどうせ何もできない人間だ」と考えるようになり、自暴自棄になり精神は荒廃する。

周囲の人間も、当初はその宣言に理解を示し、時には応援してくれるだろう。
しかし、何度もその人間がその宣言を反故にするうち、
「この人間を信用しても損をするだけだ」と考えるようになり、相手にされなくなる。

精神が荒廃し、他人からも相手にされなくなるのだから、それは無駄な消耗以外の何物でもない。

第一、本当にやめる気持ちがあるなら、いちいち宣言をする必要はない。
宣言をしなければやめてはいけないという決まりはないのだから、黙ってやめればいい。
万一やめられなくても、宣言をしていなければ自尊心のダメージは少ないし、他人に相手にされなくなる心配もない。
再チャレンジのチャンスが与えられる分、むしろ合理的でさえある。

もちろん、宣言により自身を衆人環視の環境に置き、その内容を実現せざるを得ない環境を作るという方法論があることは理解している。
オレも、そうした方法を取ることがある。

だが、それは「何かをする」という積極的な目標には有効だが、「やめる」という消極的な目標には向かない。
「やめる」という目標が立つのは、既にその人間が何かに依存していることを意味する。
依存は、それが既に病的なものである場合、意思の力だけではやめることが困難だ。
うつ病が気合いでは治らないのと同じで、アルコール依存やギャンブル依存は病院で治療を受けない限り克服できない。
それを「宣言」で何とかしようとすること自体、間違っているし、無駄な消耗だ。

もし何かをやめたいと思っているなら、それをむやみに宣言することはやめたほうがいい。

【今日のまとめ】
オレは指鳴らしがやめられない。


というわけで。
  1. 2018/04/02(月) 17:44:04|
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