オレは車のクラクションが鳴るのが苦手だ。
クラクション自体が危険を知らせるために作られているから当然ではあるが、クラクションの音を聞くとびくついてしまい、怖い気分になる。
自分が鳴らされたのでなくても、近くでその音を聞いただけで嫌だ。
最近、舌打ちを聞いた時の気持ちが、ちょうどクラクションを聞いた時のそれと似ていることに気付いた。
クラクションと違い音量の大きさで驚くことはないが、その音にびくついてしまい、怖い気分になるということは変わらない。
満員電車や混雑した駅で、よく舌打ちをする中高年の男性を見かける。
女性や若い男性が舌打ちをしているのを見ることはほとんどない。
中高年になっても電車通勤している人は男性の方が比率がかなり高く、
以前に書いたように、年をとると我慢が効かなくなるので、そうした結果になるのだろう。
舌打ちは周囲を威圧し、さも「自分は苛立っているのだから、配慮しろ」という印象を与えるが、
もちろんそれに周囲が応じることはないので、それは単なる無駄な消耗である。
自身にとって無駄な消耗であるだけでなく、周囲の人も嫌な気分になるのだから、それは害悪のようなものだ。
もしオレも年をとって我慢が効かなくなり、舌打ちをする中高年の仲間入りをしてしまったらと考えると、暗澹たる気持ちになる。
そうなった場合に注意をしてくれる人が周囲にいればいいが、
いま舌打ちをしている中高年男性たちを見る限り、きっとそうした人は存在しないだろう。
【今日のまとめ】
「警笛鳴らせ」の標識をなかなか見ない。というわけで。
- 2018/04/01(日) 20:00:00|
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