国税庁の長官が辞意を表明したというニュースを目にした。
どんな理由があれ、これだけ連日のようにメディアや国会で叩かれていれば、辞めたくなるのが人間というものだろう。
「辞めるということはやましいことがあるのだ」と単純に言えるレベルではないバッシングであり、
これで精神が参らず、辞めない人間がいるのかとオレには思える。
そもそも、書類を書き換えたというのが仮に事実だとして、それによっていったい何が明らかになるのだろうか。
誰もそれを説明してはくれない。
おそらく、何も明らかにならないのだろう。
単に、「書類を書き換えた」ことが明らかになるだけで、トートロジーだ。
以前にも同じような疑問を書いたことがあるが、
メディアや野党は、今回もそれを明らかにすることはせず、ただ「書類の書き換えがあったか否か」という点についてのみ執拗に攻撃している。
「書類の書き換えが事実であれば、このような事実が明らかになり、
その結果、このような不正があった事実が認められるから、書き換えがあったか否かが問題なのだ」
という主張をして攻撃しなければ何の意味もない。
野党は「国民は真実を知りたがっている」と繰り返し主張する。
それは間違っていない。
だが、もし、書類の書き換えがあったことが証明されたとして、
それによって判明する事実が単に「ということは、やましい事実があったのだ」という程度のどうでもいいものであるなら、そんなものは国民の求めるものではない。
まさしく無駄な消耗である。
野党にとってはこの件はチャンスであるのかもしれないが、
無駄な消耗では政権は獲得できないし、もし獲得できても、そこには衰退だけが待ち受けることになるだろう。
【今日のまとめ】
どの辺が「問題」なのだろう。というわけで。
- 2018/03/09(金) 21:45:49|
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