先日、Twitterを見ていたら「自分の機嫌は自分でとる」という言葉を目にした。
自分が不機嫌になっても、他人に機嫌をとってもらうのではなく自分でコントロールせよ、という意味のようだ。
他人に機嫌をとらせることは無駄な消耗でしかないので、そこについてはオレも同意する。
だが、そもそも「機嫌が悪くなる」ということ自体が無駄な消耗だ。
だから、オレは、「自分の機嫌は自分でとる」ではなく、「そもそも機嫌の悪くならない状態になる」ことを目指すべきだと思う。
それを他人にやらせようが、自分でやろうが、機嫌をとるという行為は労力を要する。
労力を要するにしても、それが必要な消耗であれば仕方がないが、機嫌をとるのは無駄な消耗だ。
なぜなら、そもそも機嫌が悪くならなければ機嫌をとる必要はないからだ。
機嫌が悪くなるのは自分の問題であって、自然現象のような抗えないものではないから、
自分の機嫌が悪くならない状態に持っていくことはそれほど難しくない。
人間誰しも、疲れることもあるし、眠くなることもある。
だが、疲れたり眠くなったりしたら休めばいいだけで、そこで機嫌を悪くする必要はない。
怒ることに関しては、そもそも怒る必要はない。
「自分の機嫌は自分でとる」という言葉は、正しいように見えて、
「機嫌をとらなければいけないような状況が存在している」という無駄な消耗を含んでしまっている。
だから、そこを目指してはいけない。
これは別に宗教的な話でもなければ精神論でもない。
単に、機嫌を悪くしなければいいというだけの極めて単純な話だ。
【今日のまとめ】
むしろ怒り方がわからない。というわけで。
- 2018/02/25(日) 21:04:14|
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