先日、Twitterのトレンドで「奨学金破産」という単語を目にした。
この単語だけで容易に想像がつくが、クリックして記事に飛んでみると、
案の定、「奨学金を返せず、自己破産する若者が増えている」というものだった。
オレは、大学で特に何か勉強したいことがあるわけでもなく、取りたい資格に大卒が要件とされていないのであれば、
借金をしてまで大学に行く必要はないと思う。
こう書くと、「大学を出なければまともに就職できない」と返してくる人間がいるだろう。
だが、周囲を見れば分かる通り、中卒や高卒で働いている人間は大量にいる。
むしろ、「中卒や高卒で、どこにも就職できなかった」という人間の方が少数派だろう。
こう書くとさらに、「中卒や高卒が就職しているのはまともな会社ではない」と返してくる人間がいるだろう。
だが、有名大学以外を卒業した人間が就職する多くの企業は、果たしてその「まともな会社」なのだろうか。
大卒で就職し、給料が安く、ブラックで、パワハラが横行し、数年で辞めさせられてしまう会社は、
中卒や高卒の人間が就職する町工場や飲食店や小売店よりも優れた企業だろうか。
そもそも、「大学を出なければまともに就職できない」というのは論理として逆だ。
極端な例を挙げよう。
仮に、国民全員、あるいはそれに準じる数の日本人が大学に行かなくなったとする。
そうなれば、大企業の社員や政治家や公務員や医者や弁護士はどうなるだろうか。
話は単純で、中卒や高卒がそれらの職に就くようになるだけだ。
それらは必要な仕事なので、誰かがやるしかないからだ。
いま、そうした職業に大卒や大学院卒しか就けないのは、多くの人間が大卒や大学院卒だからだというだけだ。
要するに、みんなが大学に行っているから、大学を出なければ就職が難しくなっているのだ。
みんなが大学に行かなくなれば、大学を出なくても就職が容易になるというだけのことだ。
「大学を出なければまともに就職できないじゃないか」と憤る人間は、
まず、自分たちのそうした姿勢が、「大学を出なければまともに就職できない社会」を作り上げているということに気付いたほうがいい。
そうした人間は、自分で自分の首を締めているのだ。
大学は、明治や昭和初期の頃のように、選ばれた人間が行けばそれでいい場所だ。
それでもどうしても行きたいという金のない人間には、そこで初めて奨学金を出してやればいい。
オレは、私立大学を廃止し、選ばれた人間だけが国立大学に行くようにすればいいと思うのだが、
私立大学は営利企業なので、それは実現が難しいだろう。
ともかく、奨学金がどうこう言う以前に、「大学に行かなければならない」という考え方自体が、無駄な消耗である。
【今日のまとめ】
奨学金を仮想通貨に替えた人間がいないか心配だ。
というわけで。
- 2018/02/13(火) 20:27:26|
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