ある携帯電話会社が、利用者に毎週金曜日限定で牛丼チェーン店の牛丼が一杯無料になるクーポン券を配り、
その結果その牛丼チェーン店に長蛇の列ができて周辺の道路や駅などが混乱したというニュースを目にした。
オレもその携帯電話会社を利用していて、オレにもメールでクーポンが届いたが、
クーポンでしか食べられない限定メニューならともかく、普通の牛丼が無料になるだけだというので行かなかった。
このニュースに対して、「並ぶ時間を時給で考えれば並ぶより働いた方が牛丼を多く食べられる」とか、
「格安SIM会社に乗り換えれば、浮いた月額で牛丼をたくさん食べられる」という意見を多く目にした。
その多くが、目先の利益にとらわれて無料に飛び付く人間は損をしている、という論調だ。
これらの意見は正しい。
だが、ただ「正しい」だけだ。
今回牛丼のために並んだ人々は、牛丼が「無料で食べられる」ことに価値を見出して並んだのだ。
行列に並ぶ代わりに数時間アルバイトをして稼いだ数千円や、
格安SIM会社に乗り換えて浮いた数千円で牛丼を何杯も食べられるというのは事実だ。
だが、それは「無料で食べられる」わけではなく、稼いだり浮いたりした金で買った有料の牛丼だ。
並ぶ人々は、そんなものを求めているわけではないので、
先に書いたような意見は、それ自体は正しいが、並ぶ人々に対しては何の意味も有しない。
結果的に無料で食べるよりも得であっても、それはどこまで行っても無料の牛丼ではない。
正しいことは悪いことではない。
だが、悪いことではないということは、それがいいことであるとか、意味のあることであるということを意味しない。
ただ「正しい」だけで、何の意味も効果もないということは多いし、
そうした意味も効果もないことを言ったり、行ったりする人もまた多い。
それは言うまでもなく、無駄な消耗にほかならない。
【今日のまとめ】
オレが松屋派なのも功を奏している。というわけで。
- 2018/02/07(水) 00:11:28|
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