最近、インターネット上で「正しい」ことを言う人が多い。
たとえば、不倫は個人の問題だから第三者がとやかく言うことではないとか、
漫画の違法ダウンロードサイトは新しい作品を産まなくなるから閲覧をやめるべきだとか、そうした主張だ。
それらはどこまでも正しく、反論の余地がない。
オレもその通りだと思う。
だが、彼らはみな、ただ「正しい」だけで、目の前にある問題をどのように解決すべきかを示してはくれない。
不倫が個人の問題なので第三者がとやかく言うことではないということが正しかろうが、現実にとやかく言う人間は数多く存在する。
「とやかく言うことではない」と主張したところで、とやかく言う人間はいなくならない。
「正しい」ことを言うことでは、目の前の問題は解決できない。
重要なのは、問題を解決することだ。
その手段が正しいかどうかは後から判明することなので、二の次でかまわない。
きっと、「正しい」ことを言う人々も、そのことは理解しているのだろう。
だが、それでも彼らが「正しい」ことを言うのをやめないのは、問題を解決するための文脈を持たないからだ。
活版印刷の発明や産業革命は、問題を解決するための文脈を人々に与えた。
だが、仮想通貨がいくら隆盛を極めても、オレたちは何の文脈も獲得できない。
それは既存の物事の延長線上にあるものでしかないからだ。
どのように問題を解決するための文脈を獲得できるのか、オレにもわからない。
だが、文脈がないのに、ただ「正しい」ことを言うのは、無駄な消耗であるということだけはわかる。
【今日のまとめ】
インターネットに限った話なのかどうかもわからない。というわけで。
- 2018/01/25(木) 22:32:22|
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