海外のある国で、ロブスターを生きたまま茹でることを禁止する法律が成立したと聞いた。
動物愛護という観点から考えればそれが異常なことだとはオレは思わないし、
そのことに怒ることもなければ嘲笑することもない。
ロブスターをありがたがって食べる人間にも、ロブスターが熱湯でもがき苦しむ様子を見たくないという人間がいるかもしれないし、
それは動物愛護のみならず人間のためにもなっているのだろう。
もっとも、この手の話では、動物は愛護されても、植物が同じように愛護されるという話は聞かない。
植物は動物ではないが生物だ。
植物には痛覚はないだろうが、動物にも痛覚のないものもいる。
動物の肉を食べないという思想の持ち主はいるが、そうした人間は植物を口にする。
植物も生きているのにだ。
結局、理屈ではなく、自分の思想や自分が信じる宗教のもとで、どこで線引きをするかという問題でしかない。
動物はかわいそうだと思って植物しか食べない人間がいれば、
世界のどこかには、逆に植物をかわいそうだと思って動物しか食べない人間や宗教が存在するかもしれない。
それは、もはや生物学的にどうとか、宗教学的にどうとかいう要素では説明しきれないものだ。
オレは、それは無駄な消耗だと思う。
自分が何を食べるのかを選択する権利はあるが、そこに小難しい理屈を付ける必要はないし、結局は理屈付けられない。
食べないようにしている、ということに尽きる。
オレは個人の思想や宗教を否定するつもりはない。
ただ、オレはそう思うというだけだ。
【今日のまとめ】
COMPしか飲まない宗教はあるのだろうか。というわけで。
- 2018/01/11(木) 21:20:39|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0