平成が再来年の4月で終わると聞いた。
オレは平成生まれなので、平成しか生きたことがない。
もしオレが再来年の4月までに何かの事故か病気で死んでしまえば、オレは平成しか経験しないで終わってしまう。
他方で、大正生まれのオレの祖父は、あと一年半無事に過ごせば、大正・昭和・平成と次の年号の4つを生き抜くことになるのだから凄いと感じる。
オレは平成元年の5月28日生まれだ
(以前にも書いたが、日本ダービーがあった日で、オレと同じ茨城産馬が優勝した)。
来年の誕生日は平成30年で、オレは29歳になるが、
再来年、オレが30歳の誕生日を迎える時には、既に平成は終わっていることになる。
オレの20代は平成とともに終わる(実際には約一ヶ月の猶予があるが)と考えると、どうにも感慨深い。
元号を使う文化というのは面倒だ。
公的な文書では元号を使うルールになっているので、
そうした文書では、もう来ないことが確定している「平成40年度」などといまだに書かなければならないのは不条理だ。
元号によってどの天皇の治世であったかすぐに分かるのはそれ自体悪いものではないが、
むしろそちらを副次的なものにして(実際、「皇紀」などは現在そう扱われている)、西暦を使用するルールにどこかで切り替えたほうが便利だと感じる。
もっとも、そんなことは誰しもが感じていて、切り替えるコストのせいで踏み切れないのだろう。
それは無駄な消耗なのではないかと思う。
目先のコストを気にして損失が大きくなることこそ、無駄な消耗の典型だからである。
【今日のまとめ】
「1年」を「元年」と呼ぶのも無駄な消耗だと思う。というわけで。
- 2017/12/22(金) 23:00:23|
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