最近、インターネットやその他のメディアなどで、事物を知らないことを誇るかのような態度が目につく。
例えば、「こんなもの初めて見た」と言って、テレホンカードの写真をSNSにアップするような若者だ。
そして、そこには、
「上の世代たちは知っていて当然だと思っているものを知らない自分たちは若い、
お前らおじさんやおばさんたちとは違う」という態度が透けて見えるようにオレには思える。
これも、いわゆるマウンティングの一種だ。
「それを知っているあなたはおじさんやおばさんなので、自分たちの仲間ではありません」というマウンティングである。
これは無駄な消耗だ。
まず、知らないなら知ればいいし、知らないことは誇るべきことではない。
自分の教養がないことを誇るようになったら、その人間は終わりだ。
ビデオテープを知らない、電話ボックスを知らない、テレホンカードを知らない、新幹線の冷水機を知らない。
知らないこと自体は、実際に体験したことがないのだから仕方ない。
だが、それを知らない人間は、それらが登場するかつての小説や映画にも触れたことがないということだ。
あるいは、それらの作品を見ていても、知ろうとしていないから、気にならずにスルーしているのかもしれない。
知らない物事が目の前に現れたのにそれを知ろうとしない人間は、動物と同じだ。
人間は、知的好奇心を獲得した動物だからだ。
人間であるのに動物と同じように生きるのは無駄な消耗の極致であり、周囲に悪影響を及ぼし有害でさえあるので、今すぐ淘汰されるべき存在でしかない。
何も難しい計算をしたり、図書館にこもって調べろと言っているのではない。
手に持っているスマートフォンでGoogleから検索すれば一分もかからずに分かることを調べないのは重症だというだけだ。
知らないことが恥ずかしいことだとはオレも思わない。
だが、それを誇るようになり、そのような人間が多数を占めるようになれば、
この国どころか、人間の終わりだ。
【今日のまとめ】
すぐ検索するのがマナー違反のように扱われる空気も一因だ。というわけで。
- 2017/12/08(金) 22:36:18|
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