12月になってもう5日が過ぎた。
この調子だと、すぐに年末年始を迎えることだろう。
オレは、年末の街の異様な静けさと、年始の街の異様な賑やかさが好きだ。
両者は好対照だが、そのどちらにも非日常的なワクワク感を覚える。
このワクワク感を楽しみに一年を生き抜いているような気さえしてくる。
オレは初詣の人混みが好きだ。
オレは人が多い場所はあまり好きではないし、満員電車ももちろん嫌いだ。
だが、初詣の人混みは、満員電車よりも人が多いにもかかわらず、むしろ人が多ければ多いほどワクワクしてくる。
それはきっと、初詣に来る人間は希望に満ち溢れているからだと思う。
満員電車に乗っている人間は、みんな疲れている。
学校に行きたくない、仕事に行きたくない、疲れた、眠い、死にたい。
そんな人間ですし詰めになっている場所には、負のオーラが漂っている。
もしかしたら、隣にいた人間がその日の晩には自殺してしまっているかもしれない、そんな場所なのだ。
だが、初詣にそんな人間はいない。
みんな、程度の違いはあれど、新年に対する希望や願いを抱いてそこに来ている。
少なくとも、きょう死のうと思っている人間は初詣になど来ない。
初詣の人混みは、希望の塊なのだ。
ドラゴンボールの元気玉ではないが、そこにエネルギーが溢れかえっていることは間違いない。
だから、人混みであるにもかかわらず、嬉しくなるのだとオレは思う。
「新年の抱負」というものを抱くのはあまりいいことではないと言う人がいて、それは一理ある。
新年から、来月から、来週から、明日から、というのは、今できることを後回しにする言い訳として機能しやすいからだ。
だが、それが精神のリセットとして機能するのもまた事実だ。
とりわけ、新年には、先に述べた初詣がある。
初詣に行って希望の塊に触れ、また自身がその一部となることは、無駄な消耗の対極にあるものだ。
【今日のまとめ】
鶴岡八幡宮の列整理は芸術。というわけで。
- 2017/12/05(火) 23:34:20|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0