ここ数年で思うのは、インターネットでは「やられたらやり返す」人が多い、ということだ。
何か揉め事があるとすぐに相手の写真やスクリーンショットをネット上に載せ、
時にはメッセージなどのやり取りも掲載する。
自分は相手にこんなことをされた、ということを自らのフォロワーや読者に公開し、応戦の意思を表明しているのだろう。
そうした攻防はまるで戦争のようだ。
勘違いしないで欲しいが、オレはやられたらやり返すことが悪いと言っているのではない。
だが、無駄な消耗であるとは思う。
やり返すことは、自分が相手と同じレベルに落ちることを自ら許容することだ。
何か不快なことをされたからこそやり返すのだろうが、
やり返せば、その瞬間、自分も相手と同じで、他人に不快な行為をする低レベルな人間になる。
自分が一時的にであれ低レベルな人間になることを有益な行為だと考える人間は、まさかいないだろう。
だから、やり返すことは無駄な消耗なのだ。
このように書くと、それでは一方的に耐えろというのか、と言われるかもしれない。
だが、耐えるも何も、自分より低レベルな人間に何かをされることではそもそも傷つくことはない。
たとえ傷ついたとしても、それは一時的なものだ。
だから、そもそも耐えるということ自体が起こらないし、その必要がない。
やり返しは、無駄な消耗でありながら日常茶飯事となっている。
それを無駄な消耗であると認識して大幅に減らすだけでも、社会それ自体が変革する可能性が大いにあるとオレは思う。
【今日のまとめ】
定量化できないのに「倍」も何もない。というわけで。
- 2017/11/24(金) 22:38:05|
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