よく、異性(場合によっては同性)について、「好きなタイプ」というのを表明したり、他人に訊く人間がいる。
こういう女が好みだとか、こういう男は嫌いだとか、そういう内容だ。
だが、オレは、「好きなタイプ」を表明することに何の意味があるのか不思議に思うし、無駄な消耗だとも思う。
大体、「好きなタイプ」として本当に自分が好きな異性を完璧に類型化して網羅することはできない。
両極端な性格をどちらも好きだということもあるし、
「自分では言わなかったが、言われてみればこういう相手も好きだ」という場合、
それは自分の表明した「好きなタイプ」からは漏れてしまう。
もし、自分に密かに好意を寄せている異性がいたとして、
その人間が、こちらの表明した「好きなタイプ」を知り、
「自分はそのタイプではない」と判断して身を引いてしまえば、知らずのうちにチャンスを逃してしまう結果になる。
相手がよほどこちらに執着していない限り、
「お前はタイプではない」と言ってきているに等しい相手にわざわざアタックする人間もそう多くはないだろう。
あまりにも言い寄られる件数が多いので、あえて「好きなタイプ」を公表して件数を絞っている人間も中にはいるのだろうが、
明らかにそうではない人間も、堂々と「好きなタイプ」を公表している。
それは無駄な消耗だ。
自分からチャンスを削っているに等しい。
「好きなタイプ」がたとえあっても、それを公表せずに心に秘めておけばいい。
言い寄られてから判断すればいいことだ。
オレは異性に執着がないので、無駄な消耗を避ける以前に、そもそも「好きなタイプ」などない。
強いていえば、ブスとデブ以外なら誰でもいいが、それは誰しもがそうだろう。
それに、「ブス」や「デブ」というのも抽象的なもの(これを法律学では「規範的要件」と呼ぶ)なので、
世間がブスだと言う女もオレがブスだと思わなければオレにとってはブスではないのだから、結局は何もないに等しい。
目の前にいる人間が好きだったら好きで、そうでなければそうでない、それだけの話だ。
【今日のまとめ】
こういうことを言うと「つまらない人間」扱いされるのだが。というわけで。
- 2017/11/18(土) 20:00:00|
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