Twitter上で、あるツイートを目にした。
かなり多く拡散されているので既に知っている人がほとんどだろうが、バイオリンの話である。
知らない人もいるかもしれないので簡単に説明すると、
投稿者の妹であるバイオリン奏者が、学校でクラスメイトから「音楽なんて意味がない」「やっていても将来の役に立たない」と言われ、バイオリンを続ける気がなくなったという。
そこで、「そんなことはない、音楽に意味はあるし将来の役に立つ」という意見の人にリツイートをしてもらい、
それが上記の発言をしたクラスメイトたちの数を上回ればバイオリンを再開してくれるかと投稿者が妹に尋ねたところ、妹は頷いた、だからリツイートしてくれ、というものだ。
これは言うまでもなく無駄な消耗である。
もちろん、最も無駄な消耗をしているのはクラスメイトだ。
他人の行動の意味を勝手に規定することは意味がないし、
「他人がある対象をどう考えるか」という自らの変えられないエリアに干渉しようとする時点で無駄な消耗だ。
しかし、このバイオリン奏者自身も無駄な消耗をしている。
それは、「音楽に意味があると多くの人が言うならバイオリンを再開する」という判断をしているからだ。
自らの行動に干渉できない他人の意見を自らの行動の根拠としている時点で、それは無駄な消耗にほかならない。
音楽をやることに意味があるかないかは、それぞれの人間が個別に決めることだ。
また、同じ人間でも、「この場合は音楽に意味があるが、こういう場合には意味がない」と判断することもあるだろう。
そのグラデーションを考慮すれば、もはや意味のあるなしで判断すること事態も無駄な消耗だ。
100人中99人が「意味がある」と言っても、自分自身が無意味だと考えているならばそれは無意味なのだから、
このような投稿も、そしてそれをリツイートする人間も、無駄な消耗を重ねていると言うほかない。
それに気づくことのない人間が多い世の中では、無駄な消耗により費やされる社会的なコストはいつまでも減少しない。
それがどのような結果をもたらすかは、社会の動きを見ていれば簡単にわかることだ。
【今日のまとめ】
オレは音楽に意味があるかなど考えたことがなかった。というわけで。
- 2017/10/30(月) 20:00:00|
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