Twitterのタイムラインを見ていると、よく、「自分は◯◯が得意だ」「自分は◯◯が上手い」と言っている人を見かける。
その人は確かにそれが得意であったり上手いように見受けられるが、
必ずしもその道においてプロであったり、有名であったりするわけではない。
むしろ、そのような発言をする人には素人の方が多い。
オレは、皮肉ではなく、そうした人を羨ましいと思う。
オレはとても、自分はこれが得意だとか上手いとか自信を持つことのできる対象がない。
他の分野に比べてこれが得意だというものはもちろんあるが、それは絶対的な自信ではない。
自分はもっとやれるので、こんなところで満足したくないという気持ちと、
もっと上手い人は世の中にいくらでもいるのに、「自分は上手い」などと言うことはおこがましいという気持ちが重なり、
とても自分はこれが得意だとか上手いなどと言うことができなくなる。
もちろん、そう考えることにはいい面もある。
成長は、満足したらそこで止まってしまう。
たとえば、オレが「オレは文章が上手い」などと本気で思ってしまえば、オレがこれ以上文章が上手くなることはもうないだろう。
まだ物足りない、もっと上手い人はいると思うことで、
はじめて少しでも自分の理想や自分より上手い人間に追い付こうと思うことができる。
だが、人間の精神には波がある。
気持ちが落ち込み、自分には能力がないのではないかと思い悩んだとき、
自信が少しもなければそこで気持ちが切れてしまう。
気持ちが切れることは、成長が止まるどころか、これまでの積み重ねをゼロにしてしまう。
思い上がりは成長を阻害するが、気持ちが落ち込んだ時にその気持ちを切れさせない程度の自信はやはり必要だ。
そう思ったとき、オレが自信を持てる対象は果たしてこれまでに何かあっただろうかという気持ちになる。
オレは文章も苦手だし、歌もたいして上手くなく、ギターもろくに弾けない。
能力面においては、オレは自信が持てない。
だが、5年間ブログを書き続け、6年間メールマガジンを発行し続けたことに関しては、
客観的事実としての裏付けがある。
得意か、上手いかはともかくとして、現実にそれをやったのだ。
そこに、オレが自信を持つ手がかりがあるのかもしれない。
そう考えると、ブログやメールマガジンを愚直に更新することは、オレにとっての最後の砦だといえる。
【今日のまとめ】
別にペシミストではないのだが。というわけで。
- 2017/10/26(木) 23:11:31|
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