時おり、クリエイターやアーティストと呼ばれる人が、
「自分は命を削って作品を作っている」とか、「作品は自分の子供のようなものだ」と言っているのを目にする。
オレは、正直に言って、そうした言葉を聞くと少し引いてしまう。
そこまでして作られても、という気持ちがある。
どうにも重いのだ。
もちろん、作品で勝負する人たちである以上、手を抜くことは自分も他人も許さないだろう。
オレも、そういう作品に触れたいとは思わない。
だが、手を抜かないことの対概念はあくまで本気や全力だ。
本気や全力でやることと、命を削ってやることは違う。
後者はオーバーワークであって、持てる力を超える力を発揮してしまっている。
オレは本気や全力の作品を見たいが、オーバーワークで作られたものは見たくない。
作品を楽しもうという気持ちがよりも、作り手に対する心配や不気味さが先に来てしまうからだ。
SNSを見ていればわかることだが、いまは仕事に対して良くも悪くもドライな見方をする人が増えてきた
(勘違いしないで欲しいが、オレはそれを悪いとは思っていない)。
仕事に命を懸けることはかっこ悪いという価値観が醸成され、それを要求する企業は散々に叩かれる。
だが、同じ仕事なのに、ことクリエイターやアーティストと呼ばれる分野に関しては、
まだ命を懸けることに対する抵抗が少ないように思われる。
その結果、先に書いたような「重い」印象を受けてしまうのだ。
本気でやり全力は出すが、命は削らない。
それは情けないことではなく、むしろ努力のいることだ。
自分の能力を知る努力をしているからこそ、命を削ることなく満足の行く成果を出すことができる。
自分の本来の全力を知らない人間がオーバーワークをし、限界を超えて病気になったり死んだりする。
それは無駄な消耗の極致である。
【今日のまとめ】
死んだら意味がない。というわけで。
- 2017/09/29(金) 20:00:00|
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