最近、すぐに「ずるい」という言葉を使う子供や若い人間が増えているという話を耳にした。
クラスの友達がニンテンドースイッチを持っていてずるいとか、あいつだけ上手くいっていてずるいとか、そのようなものだ。
他人がゲーム機を買ってもらったり、上手くいっているのはずるいことではないので、単純に間違っているし、
ずるくない人間をずるいと言うのは愚かだ。
しかし、これは、単に日本語の誤用であるか、「ずるい」に新しい意味が生まれつつあるということなのではないかとも思う。
おそらく、上記のような人々は、「羨ましい」という意味で「ずるい」と言っているのだろう。
少なくとも、そのままの意味でずるいとか狡猾だと考えて「ずるい」と言っているようには思われない。
そうだとすれば、愚かというよりは、単純に知識不足で誤っているということになる。
現状では「ずるい」が「羨ましい」の意味に変容したとまでは言えないから、指摘して直させるほかない。
もっとも、他人が自分の持っていないゲーム機を持っていたり、自分が上手くいっていないことで他人が上手くいっているのを、
「羨ましい」と考えること自体も、それはそれで問題がある。
それは、「
7つの習慣」における「欠乏マインド」というものだ。
欠乏マインドにとらわれた人間は、世の中の成功をパイの奪い合いだと思ってしまう。
すなわち、他人が上手くいくと、その分だけ自分が上手くいきにくくなると思ってしまうということだ。
実際には、順位付けのある試験や枠のある抽選はともかくとして、全員が上手くいくことはある程度可能だ。
そう考えられる「豊かさマインド」がインストールされていなければ、「Win-Win」を考えることはできない。
実際には自分も上手くやれるのに、欠乏マインドにとらわれて他人を羨ましいとか「ずるい」と思うことは、
事実誤認であり、結局は無駄な消耗である。
欠乏マインドを豊かさマインドに書き換えることは、無駄な消耗をなくすことにもつながるのだ。
【今日のまとめ】
やはりここに立ち返る。というわけで。
- 2017/09/07(木) 00:02:24|
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