先日、スティーマーレーンという競走馬が死亡したというニュースが流れた。
獣医師が栄養剤の注射をした際、誤って針で頸動脈を傷付けてしまい、出血によって窒息してしまったそうだ。
痛ましい事故で、関係者や出資者(この馬はいわゆるクラブ馬だ)の無念は計り知れない。
しかし、これを「人災だ」と糾弾した某メディアのSNS上の書き込みは、やや勇み足のように思われる。
ミスはどこまでもミスであって故意ではない。
人災というのは、福島の原発事故のように、
分かっていながら放置を続けた結果起きる当然のごとき結末を指すものだろう。
少なくとも、今後の訴訟などで詳細な事実関係が明らかになるまでは、そのような表現を用いるべきではない。
事態の当事者ではないオレたちにはそうした冷静さが求められる。
それはさておき、医療事故における医師(この件では獣医師だが)と患者側のスタンスにはどこまでも溝がある。
オレは学部やロースクールで法医学や医事法の広義を多く履修したが、
講師の医師の話を聞けば聞くほど、その溝の深さを感じる。
それは当然の話で、
医師からすれば、自分たちはコンピュータではないので、一切ミスをしないということは不可能だ。
可能な限り事故を防ぐよう努めることはできても、手術の件数が増えれば増えるほど、悲劇が起きる可能性は高まっていく。
それは確率論から言ってもどうしようもない事実だ。
他方で、事故の被害者となった遺族(この件では馬の関係者だが)からしてみれば、
「自分のときだけ失敗された」ということになる。
事故が起きて被害を受けたことはまぎれもない事実なので、
「確率論から言って仕方がない」と割り切ることは難しいし、むしろ割り切れる方が不自然だろう。
だが、医療事故の訴訟では、医師側が勝訴することの方が多い。
医師側が敗訴したり不利な条件で和解するのは、一部の重大なミス(注意義務違反が多い)による事故の場合に限られる。
それもまた当然のことだ。
医療事故で簡単に医師側が敗訴し、多額の賠償金を支払うことが常態化すれば、医師たちは手術などしなくなるだろう。
いくら給料が高くとも、ミスをして多額の賠償金を支払うリスクを負いながら手術をするのは割に合わないからだ。
しかし、それでは、現実にミスで亡くなった側はどうすればいいのかという問題は解決されない。
そこに限界があり、やはり溝は深く、埋まらないのである。
ちなみに、医療事故の話ではないが、
以前、JRAの職員から、
「馬運車に追突し、乗っていた馬が出走できなくなった場合、出走できなくなったレースの1着賞金が逸失利益になる」という話を聞いた。
その裁判例を検索してみたのだが、見付からなかった。
もっとも、東京高判昭55.5.29交民集13-3-580 は、
足利競馬のサピリアという馬が馬運車の交通事故で10ヶ月休場した事例における逸失利益の算定につき詳細な検討を行っており
(これはその日のレース以外も出走できなくなった事例なので、上記のケースとは異なる)、興味深い判決だ。
【今日のまとめ】
「競馬判例百選」があったら嬉しい。
というわけで。
- 2017/08/05(土) 20:00:00|
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