ある芸能人が、ネットの連載記事で、Twitterの「クソリプおじさん」を糾弾する内容の文章を書いていた。
内容自体はとても面白く示唆に富んだもので、
彼女がいかにクソリプに苦しめられているかが、公の文章としての配慮の中からも存分に垣間見え、さぞ大変なのだろうと思った。
だが、このような記事を書いて、「クソリプはやめてくれ」と言ったところで、クソリプおじさんは少しも減らないだろう。
クソリプとは、実のところ、
表層化されたクソリプという「行為」のレベルの問題ではなく、アティチュードや精神の問題だからだ。
クソリプを送り付ける人間は、自分が送り付けているリプライがクソリプであるということに微塵も気付いていない。
そのため、上記のような記事を見ると、「こんな人がいるんだ、大変だね」などというクソリプを送りつけたりする。
クソリプとは文字通りクソのようなリプライだが、
自分が投げつけているものがクソだと知っていて他人に投げつける人はまずいない。
そんなことは夢にも思わないので、たとえ「クソを投げてくる人が多くて困っている」と指摘されても、
まさか自分がクソを投げているとは考えないのだ。
だから、先に書いたように、クソを投げるという「行為」のレベルでやめろと言っても、誰もやめない。
クソリプを減らすには、クソリプを送り付ける人々が個々に人格的成長を図るほかない。
クソリプを送り付けてしまうアティチュードや精神が成長し変革すれば、
自分がクソリプを送り付けていたことに気付けるようになり、その結果、クソリプという行為もしなくなる。
それは「7つの習慣」などによって実現されるが、
クソリプを他人に送り付けるような人格や精神のレベルにある人間が、自発的にそのような本を読む可能性、
読んだとしてそれを素直に実践できる可能性はきわめて低いだろう。
その結果、クソリプという無駄な消耗は終わらず、社会は確実に衰退に向かっている。
【今日のまとめ】
ボードゲーム版ではなく本で読みましょう。というわけで。
- 2017/07/29(土) 20:00:00|
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