記憶にございません。
これはよく政治家を批判する際に槍玉に挙げられる言葉だ。
言った、言っていないではなく、あくまで記憶にない。
検査して記憶を確かめることなどもちろん不可能なので、記憶にないのならばどうしようもない。
こうしたロジックで政治家は「記憶にない」と言い、逃げているのだと人々は批判したり揶揄したりする。
だが、これは正確性を求められる政治家には必要な言葉選びだ。
「記憶にない」ではなく、「言っていない」と言った場合、
過去にまったく別の意図で行った発言を部分的に切り取られ、言っているではないかと叩かれる可能性がある。
これは野党やメディアの現状を考えれば明らかなことだ。
「記憶にない」であれば、単に言っていないことも当然包摂するし、
そのような揚げ足取りも行う余地がない。
「記憶にない」は、ふざけているのではなく、無駄な消耗を避けるために必要な言い回しなのだ。
問題でも何でもない物事を「問題」に仕立て上げ、
当然ながらまったく証拠が見付からなかった場合でも、
情報の伝え方によりあたかも「本当はやっているが、隠蔽している」かのような印象を与える。
これが野党や一部メディアの常套手段であるが、これは政治でも報道でもない。
そのような無駄な消耗を行っている人々は淘汰を待つだけだが、彼らはそれに気付くことはない。
【今日のまとめ】
獣医といえば競馬のスターター。というわけで。
- 2017/07/24(月) 22:53:27|
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